自分のことを優しすぎると思っているひと。

「この優しすぎる性格さえなければ、本当はもっともっと自分が好きなことができるのに…。」

そう思っているひとって、思いのほか多いと思います。

でもそれは大抵の場合、自己中心的なだけ。

今日はそんなお話を少しだけ書いてみようかなと。

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「自分がどう思われているのか?絶対に相手から嫌われたくない…!」

そうやって自分のことばかり気にしているから、他者に対してどんどん優しくなってしまうんですよね。

相手のことを慮っているようで、本当に気にしているのは自分自身。

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で、ここからが今日の本題なんですが、

「でも、意地悪とかじゃなくて『優しい』だから、このままでもいいかも…。相手から嫌われるよりも、何倍もマシだよね!」そう開き直ってしまう。

まわりの友人や同僚に相談してみても、「◯◯は優しいからねー。」と言われて、終いには「その優しさにいつも助けられてるよ!」なんて言われてしまう。

ますます、自己の優しすぎる性格を肯定してしまうわけです。

その結果、まわりにはその優しすぎるあなたの性格に漬け込むひとが徐々に増えてきて、共依存のできあがり。

参照:‪らしさが生まれることは本当に良いことなのか? | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/b1fa615dfae4‬

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「他者に気を遣いすぎる」というのも、まったく同じ構造です。

相手を慮っている態度かと思いきや、本当は自分がその場を支配したい欲求の表れ。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1134344438648455169?s=20

にも関わらず、自分の中では「横柄な人もいるけれど、自分さえ我慢すれば、それでいいんだよね…!」と変な方向に着地してしまいがち。

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優しすぎるも、気を遣いすぎるも、適切な範囲を超えると、自己中心的な欲求の発露であると、肝に銘じること。

特にこのサロンの中には、他者を尊重しすぎるがゆえに、本当に自分の言いたいことや実行したいことを諦めてしまうひとが多い印象です。(もちろん自分にもその傾向はあります)

キツい言い方かもしれませんが、それは自己中心的か気持ちの発露ですからね、根本的には間違っています。

この優しさや気遣いは、本当に相手のためを思ってのものなのか?

それとも、自己の保身のためのものなのか?

このサロンでは、そうやってもう一段階深ぼりながら、共に考えていく空間にできたら嬉しいです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。