今朝、こんなツイートをしてみました。
https://twitter.com/hirofumi21/status/1235356476631158784
勘の良い方は既に気付かれているかもしれませんが、この「自己との関係性から生まれる価値」は、決して物に限らず、様々な場面おいても同様のことが言えると思います。
例えば親兄弟、配偶者や子供など、自分以外の身近な他者にも言える。
会社組織や地域コミュニティ、国籍など自分の所属などでもそうです。
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これらのような存在(対象)と自分の間に存在している価値においても、「客観的な価値」では判断しないほうがいい。
もちろん、それがなくても困らない対象だからといって、すぐに断ち切ってしまわずに、箱の中にしまっておくような感覚です。
そうすることで、本当の意味で「自由」になれると思うのです。
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僕らは「自由」と言うと、何ものにも縛られていない状態が「自由である」と捉えてしまいがち。
でも実際は、個人にとって本当に自由な状態とは、自分の定めた規則や在り方を捉え直し、それにちゃんと従って、自己効力感を感じられているときですよね。
「儀式」や「ルーティン」、「自分ルール」なんかが、まさにそのあらわれだと思います。
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他人から見ると、「なんでそんな不自由な生き方をしているの…!?」と驚かれるようなことであっても、当の本人からすると、とても自由な状態でいられていると感じている。
逆に、他人が定めたルール(社会的な価値)に従って生きてしまうと、似たような習慣であっても、とても息苦しく感じ、不自由さを感じてしまう…。
だからこそ、この主観的な感覚(主観的な価値)を大切にした方がいいと僕は思うのです。
カントの「格率(一人ひとりの人間の意志における主観的で個人的な行動原理のあり方)」の考え方にも近いと思います。
そうすることで、より自由でいられる。
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自己と対象物・対象者・対象組織、それらとの関係性の中に存在する主観的な価値の方にしっかりと目を向けていきたい。
なかなか難しいことではありますが、より自分らしく自由に生きるためには、とても大切な視点だと思います。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの考えるきっかけになったら幸いです。