昨日、原宿で開催されていた「P2Cブランドの始め方と伸ばし方」というイベントに観客として参加してきました

参加した理由は、久しぶりに、dripの堀口さんや平岡さんたちに会いたくて。

半分以上が立ち見というぐらいに、本当に大盛況のイベントでした。

逆に登壇者の方々はほとんど知らなくて、普段、交流もない方々でもあったので、なんというか、自分とは全く異なる異なる文脈のイベントに迷い込んできたなあという感じでした。

それがなんだかとっても東京らしくもあり、同時に東京に戻ってきたなあと感じられる瞬間でもありました。

僕は、その後に予定もあって第1部しか参加できなかったのですが、第1部では、なぜ今彼らのような「P2C (Person to Consumer)」のブランドが人気なのか、実際にそのようなブランドを立ち上げている方々が、ものすごく丁寧にディスカッションされていました。

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この点、現代は、「もの」が世の中には完全に飽和していて、物が売れない時代だというのは本当によく語られている話です。

でも、彼らインフルエンサーが企画・販売する商品は飛ぶように売れているそうです。

その違いとは、一体何なのか。

僕が登壇者のみなさんの話を一通り聴きながら考えたのは、「もの」ではなく、そのものがある「時間」の提案であって、その時間の提案というのは、まだまだ空白だらけであってそこはスコンと空いていたということなのだと理解しました。

じゃあ、それは、一体どういうことなのか。ここからが今日のメイントピックになってきます。

「もの」と「時間」の対比だと分かりにくいかもしれないので、これはきっと「旅行」に置き換えて考えてみるとわかりやすいかと思います。

この点、「もの」や「商品」それ自体というのは、旅行におけるホテルなどの「目的地」や「観光地」みたいなものといっしょだと僕は思います。

旅行には必ず目的地が必要ですよね、だから旅行を斡旋する業者側は必ず、目的地を用意しようとします。それは旅行従事者であれば、誰もが同じように考えること。

たとえば、いわゆる従来の観光雑誌なんかで言えば、るるぶやまっぷるのような世界観がわかりやすい。旅の「通販カタログ」のような感じで、これでもかというぐらいに多様な「目的地」が載っていますよね。

でも、2泊3日の旅をするときに、僕らが欲しているのは、別に目的地の多様さではなくて、一連の旅行における「流れ」のほうであり、その旅全体の豊かさや満足感をメンバー全員が感じられるための「時間」なわけですよね。

そのことに対して、早くから気づいていたのが、人気が出始めた当初の「ことりっぷ」のような媒体であって、逆にことりっぷは観光地を絞れるだけ絞って、むしろペルソナのほうをはっきりさせたところが革命的だったわけですよね。

現代だとそのような旅行全体の体験も込みで、宿泊者に対して「時間」で提案しようとしているのが星野リゾート、特にOMOブランドのやろうとしていることだったりする。

今だと、旅行系YouTuberたちのVlogのようなものもそうですよね。

このように、これから旅行をしようと思っているお客さんが本当に欲しているのは目的地としての「商品」そのものではなく、そこで生まれる「時間」であり体験なんですよね。

それを若者たちは優れた直感力で早くから気づいてて、それをエモとかチルとか呼んでいたりもする。その言葉の漠然とした感覚を見事に空間として体現しているのが、龍崎翔子さんたちの会社であり、数々のホテルなのだと思います。

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で、これはよくマーケティングなどの文脈で語られる「ホームセンターにドリルを買いに来たひとたちは、ドリルが欲しいんじゃない。そのドリルで空けられる穴が欲しいんだ」という話がありますが、それにも似ていて。

今はそこから更に進んで、その穴は何のために欲しいのかと言えば、これぐらいの時期であれば、父がクリスマスの飾り付けで家庭内をDIYして、家族から尊敬されるためかもしれないし、もっと言うとそんなクリスマスの家族団らんや、そのような豊かな時間が欲しいからかもしれない。

ただ、そのような目的から逆算的に想起された欲望というのは、いつだって欲しい「もの」として「もの」でしか言えない。

過去に何度も言及してきた、構造と機能の話とも似ています。

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僕らが本当に求めているのは「機能」や「循環」のほうをであるはずなのに、どうしてもそれを実現しようとすると、ものを買うという行動に紐付けるしかない。

もしくは体験をまるごと購入してもらうというような。

そんな中でインフルエンサーという人々は「カリスマ消費者」と呼ばれるような存在でもあって、彼らがそのような「体験」の理想形、いうならばリアリティのあるモデルケースを提供しているような状態です。

それぞれのインフルエンサーごとに、大事にしたい時間や、価値観をメディア化して発信していて、それがプロに引け劣らない映像でもって自由自在に操れるようにもなって、マルチメディアで表現できるようになった時代が、まさに現代なわけです。

さらに、大企業であれば、採算が合わないようなニッチな分野に対しても、個人であれば狙いにいける。それが今、彼らのようなP2Cが大きな躍進を遂げている理由なのだと思います。

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で、昨日、たまたまイベントのあとに、自炊料理家・山口さんとのVoicyの対談も行ったため、そのオフレコの部分で、彼女に「旅に特化した味噌玉をつくってみて欲しい」と提案してみました。

山口さんがいつもVoicyの中で、旅先におけるホテルの中で飲めるような味噌汁や、そのような些細でも「豊かな時間」の重要性について説いてくれているからです。

山口さんが提案するその時間を、僕も旅先で味わいたいなと思って、そんな商品があれば絶対に買うなと思ったからです。

それっていうのは、コンビニで売っているドライフーズとかカップスープとか、すでにある「商品」でも実現可能なのです。

そして、味自体は、きっとそれで申し分ないと思います。

でも「時間」を大切にしているという感覚だけが、そこには足りていない。

「自分で自分のことをちゃんと労ってあげよう」というような感覚というのは、そこには内在していないわけですよね。

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ただ、大企業というのはその企業の特性上、ここをあまり強くは提案できないわけです。

「うまさ」のほうばかりを提案することになる。あとは値段。それがセブンプレミアムみたいな商品にもつながっていく。

でも、消費者は、味と価格だけで「商品」を食べているわけではない。

もっと「時間」と「意味」を通じて、全体的な満足感を得ているわけですよね。

でも企業は、味と価格の追求ばかりをしてしまう。それは日本の家電メーカーが「省エネ」ばかりを追求してしまうのと、全く一緒です。

いま足りないのは、文脈のほう。なぜその時間を、そのひとが提案しているのか。開発能力でも資金面でも劣る個人が、大企業に唯一勝るところだと思います。

なぜなら、ひとはひとを通してしか、その時間的な豊かさを理解することができないからです。ひとは他人の欲望を模倣する、という話にもとてもよく似ている話。

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一昔前は、ここがテレビCMや雑誌の広告などによって醸成されていたのだと思います。

いわゆる、皆さんご存知のクノールカップスープのCMみたいな話です。

なぜ数多ある、コーンポタージュのなかで、味は対してかわらないのに消費者はクノールの商品を指名買いするのかと言えば、テレビCMでその「時間」が刷り込まれているからですよね。

僕らはあのクノールカップスープのCMが提案してくる世界観を自らも体験してみたいと思うから、お店に行っても何気なく数十円高いクノールのカップスープを買ってしまっていたわけです。

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で、そんなマス広告が死んでいる昨今、個人のインフルエンサーというひとりの人間の「見せる生活」がそのまま、CMになっているということでもあるんだと思います。

生の人間の作り出す半分現実で、半分虚構ぐらいが一番リアリティがあって、ちょうどいいということなんでしょうね。

現代には広告がなくなったわけではなく、広告がそちらに完全に移り変わったということなんだと思います。広告が民主化されたと言っても良いのかもしれない。

「時間」の提案の主導権は、いつの間にか消費者に完全に委ねられていた。その中でセンスがいいひとたちが、「カリスマ消費者」としてインフルエンサーになった。

そしてさらにいつの間にか、そのカリスマ消費者たちが今度は主導して、自分たちが商品を販売するところまで賄うようになった。

この構造自体は、テレビが普及する前は職人や工場、メーカーが主導だったものが、テレビのマス広告主導で、ものづくり行われるようになっていったのと、全くいっしょの構造変化だと思います。

だから今の若い人々を中心に、彼らは日々InstagramやYou Tube、TikTokで、毎日「広告」に触れているような状態。

広告が流れてくるのがうざいうざいと言いながら、逆に言うと、そこに流れているもの、そのすべてが「広告」なんだとも言えそうです。

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とはいえ、このあたりも既に飽和状態。

逆に言えば、まさに今このときがマジョリティ層も一気に流れ込んできて、百花繚乱のタイミングといえそうです。

今これから、何者でもない人間がここに入り込むのは至難の技。

だからこそ、この次のフェーズに目を向けたい。それが「ただ共にいる、共に楽しむ」というコミュニティという「場」であることも、きっと間違いありません。

僕はそこを見据えた準備を、淡々と進めていきたいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。