自らの働き方を問い直すうえで、私の適性を見つけることは本当に大切なことです。

そのときに、とても大事なことは「いま目の前にある仕事を全身全霊で楽しむこと」。

損得を考えずに、目の前のことに全力で取り組んで楽しんでいるうちに、本当に私がやりたかったと思えることに巡り合うことができるようになる、それは間違いありません。

ただし、この見慣れたアドバイスの落とし穴は、同様に目の前に存在するという理由から「どうせ、やらなければいけない仕事だったら、目一杯楽しもう!」というポジティブ思考の罠にハマってしまうことだと思います。

特に、楽観的なひとは非常に陥りやすい罠です。

もちろんその心がけ自体は、非常に尊い心がけだとは思いますが、そうやって「やらなければいけない仕事」に追われているうちは、一向に自分が本当にやりたいこと(適性)には気づくことができません。

なぜなら、食うための仕事が目的化してしまっているからです。やっぱりそれはあくまで「手段」であり、通過点に過ぎないはずなのです。

辛い時間を我慢して、打ち上げや手に入る報酬を楽しみにしているような仕事は、やはりどこかのタイミングで辞めなければいけません。

楽しんでいるといいつつも、終わることばかりを待ち焦がれている状態は決して健全ではありません。

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それよりも、「いま自分が過程自体を心から楽しめていることに、全身全霊で取り組むこと」のほうに意識を向けてみる。

たとえそれが、生きるために必要なお金を稼げるようなことではなくとも、です。

具体的には、時間も忘れて没頭できてしまうこと。自分から付加価値を生み出したくなって、得られる対価には関係なく、ドンドン周囲の人々に対して貢献したくなること。

そんなことに取り組んでいると、湯水のようにアイディアも湧いてきます。そして常に夢中になれる状態が続くから、周囲から見ても非常に魅力的に思えて、応援されるようにもなってくる。

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ここまでくると、無理やりポジティブ思考を用いなくても、いま自分が取り組んでいることが「やらなければいけないこと」なのか「心から楽しんでいること」なのかは、理解できるようになってくる。

仕事の割合も、少しずつスライドしていくことも可能でしょう。

ただ、この時にもう一段階、自分の中で決意を固めて、大きく飛ぶ勇気を求められるタイミングが必ず訪れます。渡り切れるかどうか不安になるほどの大きな川を渡らなければならない。

このときに「今の仕事もそれなりに楽しめているから」や「家族を養わなければいけないから、自分が楽しんでなんていられない」など、現状維持を肯定する理由を持ち出して、自らに言い訳を許してしまうと元の木阿弥です。

ここでちゃんと飛べるかどうかが、本当に重要になってくる。

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でも、ここを飛び越えることができてしまうと「ストレス発散」という概念も自分の中から自然と消えていきます。

なぜなら、いま目の前の全力で取り組んでいる行為それ自体が、人生の一番の楽しみに変わってくるからです。

これまで必要だった休日の趣味やレジャーなどに使っていた浪費用のお金も不要になってきて、結局のところ最初に不安だった収支の帳尻なんかも合うようになってくる。

先人たちが残してくれた教えや、僕の周囲で「はたらく」を通じて人生を謳歌しているひとたちを見ても、これは一つの真実だと感じています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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