最近、1986年に放送されていた手塚治虫の働き方のドキュメンタリーをNHKオンデマンドで観ました。


久しぶりに、心底ビックリするほどに、本当にすごいものを観たなあという気分です。

画面の向こうに、化け物がいました。

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「手塚治虫はワーカーホリックだった」という話は、誰もがよく耳にしてきたかと思います。

そして、それを同じ時代を生きた漫画家で長寿だった水木しげるの生き様と比較する話は、もうインターネット上で何百回も繰り返された、鉄板睡眠系のバズコンテンツです。

でも、それを何度も見てきた自分であっても「言うて、現代の宮崎駿監督ぐらいの働き方だろう」と軽く思いながら、何かを確認するように観始めたわけなんだけれども、全然そんな比じゃなかったのです。

宮崎駿監督が子供に見えるくらい、手塚治虫の創作活動は別次元でした。ここに何より一番驚いた。

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ドキュメンタリー映像の中で、手塚治虫は3日間でたった3時間しか仮眠を取らない生活を送っていて、それでもずっとカメラに追われながらも笑顔を絶やさず、ニコニコしながら創作活動を続けていたんですよね。

普通であれば、不機嫌になってもおかしくない状況なのに、手塚治虫は徹底してニコニコしている。

番組を見ながら、そんなことが可能なのかよと疑うほど。これは手塚治虫という人の特殊性なのか、それとも1986年という時代性ゆえなのか。

どちらにせよ、「昭和のワーカーホリックの代名詞である手塚治虫」をインターネット・ミームでわかったような気分になっていた自分に対し、頭をガツンと殴られたような気分になりました。

ちなみに、この映像が撮影された3年後、手塚治虫は60歳の若さで亡くなっています。

間違いなく、3年後に死ぬ人間の働き方じゃない。

現代はこのようなあり方を「セルフブラック労働」と揶揄されるけれど、でもあまりにもニコニコと楽しそうに仕事しながら、笑顔を絶やさず「弱ったなあ」と語る手塚治虫の姿、それは間違っていたのかと言えば、何も間違っていなかったのかも知れないなあとさえ思わされてしまいます。

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で、ちょうど昭和つながりで、最近は昭和の小説家・有吉佐和子の『青い壺』という短編小説が集まった作品を、オーディオブックで聴いています。

こちらもまた非常におもしろい。この本が出版されたのは1977年で、今から約50年前です。

僕がこの本を知ったキッカケは、昨年末に放送されていたNHKの100分de名著「有吉佐和子スペシャル」です。

番組冒頭の雰囲気は、「また昭和の男尊女卑批判で、教科書的なテンプレフェミニズムの話かよ…」と思いながら、しぶしぶ聴き始めた形になるのですが、でも、回を追うごとに「どうやらそうではないらしいぞ…?」とドンドン面白くなっていき、最後の第4回『青い壺』の解説回のときには、ホロッと涙を流している自分がいました。

ちょうどAudibleでオーディオブック化されているのを発見し、早速オーディオブックで聴いてみた形になります。

『青い壺』は女性が主人公の短編作品が多いのですが、昭和の時代を生きた女性たちが、どのような想いでそれぞれの生活や暮らしを営んでいたのか、それがとても生々しく伝わってきて、そこにはまったく知らなかった昭和の女性たちの心の機微が、丁寧に描かれてありました。

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さて、このように、手塚治虫のドキュメンタリー番組と、有吉佐和子が昭和という時代を生きる中で描いた小説を通じて、いま何を思うかと言えば、僕たちは戦後の昭和という時代を「なんとなく知っているつもり」になってしまっているなあということ。

そして、インターネット上に溢れている「昭和」というネガティブなテンプレのイメージに流されすぎてしまっていたなと。

でも、実際に当時の生の「情報」に触れてみると、そのイメージはこうやって大きく覆されるわけです。

たとえば、近年話題になったドラマ『不適切にもほどがある』のように、昭和を今の価値基準で比較しながら振り返ることは多いです。

でも、あのドラマが描いている昭和も、令和の人たちの昭和ノスタルジーを掻き立てるために創作された「つくられた昭和」であって、決してリアルな昭和ではない。

実際に、当時のドキュメンタリーや小説に触れてみると、僕らが持っている「昭和のイメージ」と、実際の昭和の姿が大きく異なることに本当に驚かされる。

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で、この現象は、昭和だけに限らないと思います。

たとえば、今のフジテレビ問題なんかもそう。

「フジテレビは昔からヤバかった」という話を今の視点から語る人たちは、非常に多い。でも、当時はみんなそれを受け入れていたし、むしろそれを積極的に楽しんでいたわけですよね。

それが、時間が経ち、価値観が変わることによって「フジテレビは、昔からダメだった」と言われるようになる。

でも、その話は本当に当時のリアルを反映しているのかと言えば、決してそうじゃないわけです。

このような「過去の再解釈」はやはり、戦後の伊丹万作の戦争責任者にまつわるエッセイや、東浩紀さんが語るような「結婚詐欺問題」などと同じ構造を持っているなと思わされます。

あたかも昔からみんなが「反戦」気分を共有していたかのように語るけれど、でも実際はそうじゃなかったわけですよね。

結婚詐欺問題も同様で、結婚詐欺がわかった時点から過去に遡及し、最初の出会いからその交際の思い出がすべてが悪い記憶だったと書き換えられてしまうけれど、その詐欺が発覚するまでは、被害者自身は100%その恋愛に満足しているわけですからね。

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で、このような人間の認知の歪みみたいなものがあるから、僕は昭和の作品をそのままの形で観たり読んだりすることは、なんだかとても意義深いことだなと改めて思うのです。

養老孟司さんが言うように、「情報」それ自体は刻まれたら一生変わらないわけだから。いつだって変わり続けるのは、それを受け取る僕ら現代人側の価値観のほう。

だからこそ、「知っているつもり」を疑い、できる限り当時の空気に直接触れることが重要になるんだろうなあと。

同時に、歴史家の言葉を鵜呑みにしすぎないことも大切だなあと思います。その人が「まるでその時代に生きていたかのように」語る言説ほど、実は危ういのかもしれない。

同様に、昭和時代を生きてきたひとたちが、あたかも昨日のことのように振り返る昭和というのは、もう35年以上も前の話になるわけですからね。

自分自身で当時の「一次情報」に近い内容を触れてみて、自分の今の価値判断や感覚を一旦横においておいて、触れてみようとすることが本当に大事だなと思います。

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で、こうやって考えてくると、きっと自らが体験してきた平成初期も既にそうなってきているんだろうなと感じます。

今年は、1995年から30年が経過したということもあって、95年の話、具体的には阪神・淡路大震災の話題などが取り上げられがち。

そして、あの時代の波乱の年を振り返るような番組や特集が今増えているけれど、自分もその頃の記憶があるから、なんとなく当時の時代を体感していた気分で観てしまう。

でも、実際に当時の資料や映像を振り返ると、「自分が体験したと思っている95年」はこの30年かけて脳内でつくられたものであり、令和の視点から再構築されたイメージに過ぎないわけです。

そうやって、自分の脳内補正がかかった記憶を頼りにしすぎないということも、なんだかとても大事なことだなあと思った次第です。

僕らの記憶は、無意識のうちに補正されてしまう。だからこそ「知っているつもり」にならずに、意識的に当時の一次情報に近い情報に触れなおしてみることも、時には大切なんだろうなあと思いました。

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で、これは、きっと旅に例えるとわかりやすい。

「他人の旅の感想」を一方的に読んだり聞いたりするだけではなく、自分で旅先に行ってみることで、はじめてその土地の空気や匂いを感じられるのと同じように、昭和の作品に触れることは、単なる知識ではなく「体験」になる。

このように旅先の一次情報に触れるような感覚として、当時の番組や小説って、とても参考になる気がします。

今は、そうやって触れることが本当に簡単にできる時代でもありますからね。

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また同時に、「自分自身の過去」さえも、ある意味では「他人の旅人の記憶」だと思っておくことが非常に大事なことなのかもしれないなとも思います。

過去の自分ですら、今の自分とは異なる視点を持っていたはずだから。

知っている(と思い込んでいる)歴史を振り返るときは、このあたりの自覚は常に持ち合わせながら、考えていきたいなと改めて思いました。

何はともあれ、手塚治虫のドキュメンタリー番組は、興味がある方はぜひ観てみてください。きっと今日の僕が言いたかったことが、直接番組を観ることでより一層深く理解してもらえるはずです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。