皆さんのブログを拝見していると、自分も書きたくなってしまう!(不思議)と思い、長文になってしまいましたが、お読みいただきましたら幸いです。



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入社シーズンでもあるからこそ、オンラインのモニター越しにご挨拶なんてこともザラで。新入社員だから緊張しているなとか、必死に「閲覧」するけれど、残念ながら温度感までは伝わってきません。

例えば、ぱっと見の印象で「イケメンだ!」と反応をしコメント欄に書いてしまう。心が動いたのだから、ありふれた日常の光景でしょう。けれども、相手にはコメント履歴にその言葉だけが残ってしまう。気持ちのアーカイブ。

もうすこし想像を働かせるのならば、おそらくその人は「イケメンだ!」と今まで飽きるほどに浴びせられてきたのかもしれない、と思ってみる。表の印象だけを掴まれて、嫌気がさしているのかもしれない。あぁ、なんて失礼なことをしてしまったのでしょう。

だからこそ挨拶の中身の言葉へとより一層耳を傾けてみて、こちらへの配慮に嬉しく思い、感謝を伝える。

広くは「コミュニケーション」なのですが、それは今までと同じように「咄嗟に反応しないこと」とも言えます。



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「一呼吸置く大切さ」が今まで以上に大切なのかな、とも思っています。過去をまとめるならば、ベルトコンベアのように、自分の意思を持たずに流されるのが楽だったのかもしれません。

流されようと「生きる」ことに間違いはないし、「考えず、判断をせず」大衆と同じように最短距離でゴールへと向かっていく。何をゴールとするか、どこがゴールなのかも知らないのに。知らないけれど、生きていけた社会だったのですから。

「一呼吸置くとは、自分の頭で考えて判断すること」


いつも思い出すのは中学校のサッカー部。チームの中で最も下手くそだった自分は、自分で考えることでチームメイトに邪魔してしまうのが、本当に怖かったのです。だからこそ、監督からも「そんな意思を持たないヤツにパスなんて出すな」と怒鳴られましたし、けれども、どこか安心している自分もいました。


おかげでパスをもらったら「くれた人にすぐ返す」という単なる壁として生きる選択をし、失敗から目を背ける毎日だったように思います。

怖かったのでしょう。



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「今までと同じように反応しない」とても勇気がある行為。過去の実績に頼らず、今まさに一歩目を歩み出す。怖いでしょう、不安でしょう。

本当にそうでしょうか?

今までのレールから外れて、新しいレールに乗り換えてみる、これを機に。妄想する。

電車は使えないから自転車で集まって。外でごはんを食べられないから、テイクアウトして公園で食べて。そうしたら「部活帰りみたいだね」なんて言いながら自転車でみんなで帰って。

「家こっちだから」なんて言って一人二人と減るたびにすこしずつ寂しくなって。けれども自分一人になったら、集まれた嬉しさを振り返りながら、なんだかニヤニヤしちゃって。

そんな風にして、新しい楽しみを見つけていけばいいと思うんです。

人に変わってもらうよう嘆くよりも、過去の自分と話すようにして、今の自分と向き合っていけたらいいんだと思うのです。


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お読みいただきましたあなたにも、何かしらの気づきになればと思います。


※今朝noteに書いたものを再編集させていただきました
https://note.com/hachi_toyo/n/n6e1fe52c3bbc