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この記事では、過去にうまくいった手法やノウハウをイカダに例えて、そのイカダを手放すことの重要について書きました。
一方で今日は、自分が定めた規律(ルール)を忠実に守ることの重要性について、書いてみたいと思います。
一見矛盾するようなお話にはなりますが、どうぞお付き合いください。
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この点、「自分が定めた規律(ルール)を守ることが重要だ」言えば、きっと多くの方が同意してくれるかと思います。
少なくとも「うまくいった方法を自分から手放せ」という主張よりもきっと、納得感を持って受けいれられる意見でしょう。
しかし、たとえば以下のような場合だったらどうでしょうか。
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ここに今、一流のライターを目指し、熱心に仕事に取り組んでいる青年がいるとします。
彼が夜に原稿を書いていて、ずっと書き進めることができなかった原稿に対して、ついに一筋の光が見え始めて、筆がのってきたタイミングが訪れたとしましょう。
でも、ふと時計に目をやると、「布団に入る」と決めている時間だったとします。
明日の午前中は特に仕事の予定も入っておらず、今夜は少しぐらい徹夜をしても全く問題ない状況です。
この場合、彼は少しぐらい徹夜してでも原稿を書くべきなのでしょうか。
それともパソコンを閉じて、素直に寝る準備に入るべきなのでしょうか。
僕の考えは、それでも規律を忠実に守って寝る準備に入るべきだと思います。
規律とはそういうもの。
うまくいっている時にこそ、自己が定めたルールに従って行動することに価値があるのだと思います。
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「せっかくうまくいっているのに、もったいないじゃないか…!」
そう思う方もいるかもしれません。
彼が目指している一流のライターになるという目標に一歩でも近づける、そんな兆しがあらわれているときに、規律を守るために自己に訪れた絶好のチャンスをみすみす逃してしまうのはもったいない。そんなのは本末転倒だと。
でも大切なことなので繰り返しますが、こんなときこそ規律を守ることが重要なのです。
さもなければ、老朽化したダムのように、一つの逸脱から少しずつ規律が決壊していき、最終的には全てが崩壊してしまいます。
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じゃあ、一体どんな時であれば規律から脱していいのでしょうか。
思うに、その規律によって達成したい目標が達成されたとき、または環境が大きく変化したときだと思います。
その時には、素直に規律を改めなければいけない。
ここがものすごく重要な判断が必要な場面だと思います。
「自分はこれまで、この規律をしっかりと守ってうまくいってきたのだから、これからもこの規律を忠実に守り続ける」ではダメなのです。
なぜなら、あなたを中心に世界が回っているわけではないからです。
規律を定めたときと、社会を取り巻く環境が大きく変化しているのであれば、それに合わせて自分の中の規律も素直に変えていかなければいけない。
言い換えれば、向こう岸に渡り終えたあとにイカダを担いで移動してはいけないのです。目標は既に達成され、自分が置かれている環境も、川から陸へと変化したのですから。
この柔軟性を持つことがものすごく難しい。
逆にいうと、この柔軟性と徹底的に規律を守る態度のバランスにこそ、そのひとのセンスがあらわれて、そのひとの命運をわけるのだと思います。
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思うに、資本主義とは、規律を守れる人間が、欲望のままに生きてしまい規律を守ることができない人間から、優しく間接的に巻き上げる仕組みだと僕は思っています。
だからこそ、現代に生まれて資本主義という仕組みの中で生きている以上は、誰もが規律を守ることが重要になってくる。
そして、環境の変化に合わせて、その規律を柔軟に捨て去る勇気も同時に試される。
そんなことを考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにも今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。