僕らは日々、知識や情報をアップデートしながら生きています。

真面目で心優しい善良な人ほど、ちゃんと新しい知識を得ようとして、なるべく間違いを犯さないように心掛ける。そして、他者に迷惑をかけないようにと努力する。

それ自体はとても良いことだと思います。

最近だと環境問題やジェンダー論、日々アップデートされ続けるコロナを取り巻く状況などもそうでしょう。

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そして、そこで得られた新しい知識で、目の前の事象を「分別」していくようになるります。

具体的には、自分が持ち合わせている知識に当てはめて、「こっちが正しい」「あっちが間違っている」と言ったように自分の目の前に存在するヒト・モノ・コトを区別する。

でも、それこそが対立を生んでしまう原因にも繋がってしまうのですよね。

つまり、原理主義同士の対決につながっていくわけです。

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この点、大乗仏教では「花」と「雑草」を区別しているのは、自分の心だという見方をするそうです。

その区別をなくし「無分別」の状態で見ていこうとするのが「空」という考え方。

つまり「その枠組み自体を疑え」ということです。

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どうしてもひとは、知識を得ると、それを使って「◯◯は悪い」「◯◯はふさわしくない」と区別したくなってしまいがち。それは人間の性です。

そして、それがふさわしくないものだと判断できた時点で、是が非でもそれを否定(撲滅)したくなってしまいます。

今のコロナ下における「自粛警察」などは、まさにその典型例と言えるのではないでしょうか。

しかし、「ふさわしい」とか「ふさわしくない」とか区別して、判断しているのは自分自身の心です。

そうやって、判断を積み重ねて分別を繰り返していくうちに、世界に対する認識がどんどん歪んでいく。(この世がどんどん汚いもの、思い通りにいかないものに思えてしまう)

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知識(枠組み)をアップデートしていくことと、自己に内在する分別を無くして、目の前のことにあるがままに見ることは、決して矛盾しません。

同時に実践しうることです。

真理を探究しつつも、分別はしない。いつも、今この瞬間を、無分別で生きること。

自分自身の心によって、世界の認識を歪めてしまわないためにも、です。

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現在のように時代の変わり目で、価値観(原理主義)同士の対立がより一層深まるタイミングだからこそ、常に意識しておきたいことです。

昨日のブログと合わせて、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

参照:「思い通りにコントロールする」とは、思い通りにならないことをあるがままに観ること。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/b64dca02d8d2