「自分の感情に振り回されて辛い。」
そんな悩みに対して、
「自分の感情としっかり向き合いましょう」
と一般的にアドバイスされることが多いです。
しかし、「しっかりと向き合う」ってどういうことなのでしょうか。
僕は、自分の感情を素直に「観察する」ということだと思っています。
もっといえば、あるがままの状態をちゃんと見ること。
そのためには、自己の感情に対して、しっかりと自分の中で「居場所を与えること」が重要になってくるのではないか。
今日はそんな気づきについて、少し書いてみようと思います。
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思うに、多くのひとは「観察しろ」と言われたら、観察対象に問題(課題)を発見し、それに解決策を与えることだと思ってしまいます。
特に男性の場合は、その傾向が強い。もちろん、僕もそうでした。
しかし、大抵の場合、自己の感情とはそんなふうに一筋縄ではいかないものです。
何か具体的な解決策を導き出そうとすればするほど、思ったようにうまくいかなくて、より一層モヤモヤしてしまいます…。
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この点僕は、観察するとは「ちゃんと居場所を与える」ことなのではないかと思うようになりました。
自分の感情に対しても、他人に行っているようにただただ居場所をつくりだし、素直に傾聴してみるんです。
参照:他者を救うことは不可能だが、共に生きることはできる。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/7c5840365bc8
何かに悩んだら、とりあえずひとに相談してみるという人は多いかと思います。
この「自分以外の他者に相談することの効用」とは具体的に、自分自身からその感情を剥がす作業だと思うのです。
あまりに自分に近すぎて、焦点が合わずに見えにくかったものを、相手に傾聴してもらえることで、少し遠くに置けるようになる。
そうすることで、ちゃんと見えてくる感覚に近い。
撮影したいものと距離が近すぎて、「少し離れてください」とアラートが出るスマホのカメラのオートフォーカス機能なんかを思い浮かべてもらうとわかりやすいかもしれません。
この自己との距離感を調整をしてくれる機能が、他者に相談するという行為の作用なのだろうなあと。
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であるならば、自分ひとりでも訓練次第で実現できるようになるはずです。
もちろん、カウンセラーのように高度な技術を身につける必要なんてなくて、自己の感情にただただ居場所を与えるだけでいい。
「あれじゃない、これじゃない。絶対にこれだ、これに間違いない!」
そんなふうに自己の内側から湧いてきた感情に即座に反応し、意固地になればなるほど、自分の感情に振り回されてしまいます。
そうではなく、自己の感情を排除せず、また一方で支配させることもせず、しっかりと居場所を与えて観察する。
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そんなふうに観察していると、ポジティブでもネガティブでも、瞬間的に湧き上がってきた感情ほど、ただ居場所を与えて観察しがいがあることに気づきます。
「どうして私はこれに、これほどまで感動しているのだろうか…?」
「どうして私はこれに、これほどまで怒りを感じているのだろうか…?」
そして、できればその観察過程を、他者にも理解できるように言語化(表現)してみる。
それが本来の意味での「働く」という行為でもあるような気がします。
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なんだか最後は抽象的な話になってしまいましたが、そんなことを考える今日このごろ。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。