昨日、とてもおもしろい質問を受けました。

「鳥井さんは、いつごらから自我が芽生え始めましたか?」

まわりに流されず、人生を主体的に選び始めたのはいつごろからか、というのが質問の趣旨のようです。

一般的には、高校進学や大学進学など、自分の人生について主体的に考え始めたタイミングが自我を獲得する時期らしいです。

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とても興味深い問いだなあと思って、僕はしばらく考え込んでしまいました。

そして、自分はこれまで、自我が芽生えたタイミングは2回あるなあと思いました。

ひとつは中学時代。高校進学のタイミングで、地元を離れて大学附属校に入学しようと思った時期。

でも、この時が本当に主体的に人生を選んだタイミングなのか問われれば、少し半信半疑。

確かに、このときに親や教師、友人の意見とは異なる道を選び、主体的に人生に選び取ろうとしたのですが、

この時の選んだ道は、どちらかと言えば「人生をハックしよう」という道です。

その後、ひたすら人生をハックし続ける時期が14年間近く続きます。

そして、28歳ぐらいから「どうやら世界はそれだけではないらしい」と思うようになってきた。

僕が思う2回目の自我の芽生えは、こちら側です。

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少々わかりにくいと思うので、この世界を「ディズニーランド」に喩えて少し説明してみたいと思います。

まず、中学校に入学するまでは、それこそ親の教えや公式ガイドブックに書かれているような、一般的に推奨されている遊び方で満足していました。

でも、中学に入学したあたりから「どうやらこの世界の遊び方は、それだけじゃないらしい。もっとちゃんとこの世界の仕組みやルールを学ぶことで、上手くハックすることができるようだ」と察し始める。

その結果、親や公式ガイドブックには載っていない上手なファストパスの取り方や、人間の行動の習性などを理解して、その裏をかくような行動をし始めます。

とにかく、誰よりも一番賢くランド内を遊べるようにハックすることに躍起になり始めるわけです。

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その後、意気揚々とランド内で「最小の労力で、最大の効果を得られる」ような遊び方をしているのですが、なんだか次第に楽しくなくなってくる…。

このとき、ふと目に入るのが「今ここを楽しむ」家族の姿です。

次に乗るアトラクションのことなんて一切考えず、もちろん1日の計画を立てて未来を憂うわけでもなく、今ここを楽しむ。

一瞬一瞬に集中して、この瞬間を楽しむ生き方がこの世には存在することをそのときに初めて知る。

そして、ハックすることだけに集中し、手段と目的が完全に逆転していた自分に気付かされる。

それが28歳ぐらいのときです。

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ただ、さらに一昨年あたりから明確に意識し始めたことがもうひとつあり、「どうやら舞浜の外にも世界があるらしい」ということを風の噂で聞くようになる。

ここで、自己に選べる選択肢はふたつです。

舞浜にとどまり「今を生きる」か。本当に存在するのかどうかわからない「舞浜の外の世界を探しにいく」かの二択です。

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やはり、自分は外の世界を見に行きたいなと思いました。

この「舞浜の外」の比喩は、日本の外、地球の外、という時空的な意味での外ではなく、もう少し抽象的で概念的な感覚です。

ソレを探すことが正解なのかどうかは、全くわからない。

聞くところによると、それを探しに行った過去の哲学者たちはあまりいい人生を歩んでいないらしい。

精神的に病んでしまったり、自殺してしまったりしているひとも多いと聞く。

であれば「今ここを生きて、自己の人生をまっとうした方が良さそうだ」とも思えてくる。

それでも、外に何かがあると感じ取ってしまった以上、その正体を掴むために、これからもその影を追い続けてしまいそうです。


興味を持ってしまったからには、自分の人生をかけて実験してみる価値はあるだろうなあと今は思っています。それが自己の人生に最悪な結末をもたらそうとも、です。

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さて、あなたはいつごろから自我が芽生え始めましたか。

そして「ハックする人生」、「今ここを生きる人生」、「それでも、外の世界を探しにいく人生」どれを選んで生きていますか。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話がなにかしらの考えるきっかけとなったら幸いです。


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