昨日、こんなツイートをしてみました。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1293106327258935302?s=20

逆に言えば、相手の生い立ちを一切無視し、自分の見てきた景色だけがすべてだと思い込み、誰の人生も追体験してみようと試みなければ、目に触れた全ての意見に対して、批判的なことは言えてしまいます。

「批判するのは簡単だ」と、多くの場面で語られているのは、それが理由だと僕は思っています。

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「じゃあ、たとえ相手が間違っていたとしても、一切批判するなということか?」

そんなふう感じている方もいるかもしれません。

でも、決してそうではない。

僕がここで伝えたいのは、ここまでしっかりと相手に対して想像力を働かせれば、「あー、そうか!」と批判以外の別の言葉が自然と頭の中に浮かんでくるはずなのです。

また、言葉だけでなく、違う角度からの提案(解決策)で働きかけることもできるようになる。

だからこそ、安直に批判という行為に至らずに、少しでも想像力を働かせていきたいなあと僕は思います。

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しかし、多くのひとは、その言葉にたどり着くまでの作業(胆力を働かせる行為)が面倒だからという理由や、

目の前にいる人間は(自分の主観を通して見れば)明らかに間違っているのだから、想像力を働かせる前に、一足飛びで批判してもいいと考えてしまう。

でもそれは、言葉やロジックで冷静に対応しているように見せかけて、自分が気に食わない相手を問答無用で切り捨てたり、切腹を言い渡していた時代と何ら変わりはありません。

刃物が批判という見えない暴力に変わっただけです。

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いま僕らが使っているこのSNSという仕組みは、本当におもしろくて、毒にも薬にもなる。

批判の言葉をワンクリックするだけで相手にぶつけることもできれば、

相手の生い立ちを知り、相手が見ている景色を想像するために、これほどまでに追体験しやすく、透明化してくれるツールもなかなかないと思います。

だからこそ、うまく使いこなしていきたい。

この仕組みが人類にとってプラスに働くのか、マイナスに働くのかは、すべて僕らの想像力に掛かっている。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。