対立する二つの意見を目の前にして、「どっちも言っていることが正しい気がするし、間違っている気もする」と感じたことは、誰もが一度や二度は必ず経験したことがあるはずです。

そんな判断が難しくモヤモヤした不安定な状態に置かれたときに、僕らが選びがちな態度は大きく分けてふたつ。

ひとつは、より強く、大きな権力を持つ者に責任を押し付けるタイプ。(上級国民や陰謀論など)

もうひとつは、より弱く、社会的に不利な立場にいる者に責任を押し付けるタイプ。(努力不足や自己責任など)

今の自分の置かれている状況や立場によって、このふたつのうち、自分にとって都合良いほう、気持ちがラクなほうに流されてしまいがちです。

最近の社会問題の9割は、このような対立によって燃えているといっても過言ではないような気がします。

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しかし、そもそも社会の「構造」や、僕らが普段意識することができない「思考パターン」にその諸問題の原因が隠れているかもしれないと考えることができるようになれば、第三の選択肢もあらわれてくるはず。

マルクスも、フーコーも、フロイトも、着目したジャンルは異なれど基本的にはこの「無意識下の構造」に着目した哲学者たちです。

もっと源流をさかのぼれば、仏教(ブッダ)だってそう。

世の中で起きている表層的な問題は、実はこの認識さえしていない構造部分から湧き上がって来ていると判断できれば、世界の景色はガラッと違って見えてくる。

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もちろん、それがわかったところで目の前の問題がすぐに解決できるわけではありません。

むしろ、より解決困難な問題のようにも思えてくることも多いはずです。

しかし「そもそもなぜ…?」を考えられるようになることで、上述したような他責や自責に陥らないで済むようになる。

思考の胆力を身につけ、自分に都合の良いほうやラクなほうに流されず、本当の意味で考えるための第一歩を踏み出せるようになるはずなのです。

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そして、このような考え方が少しずつ身についてくると、他人と違う選択肢を選び取ることも可能となってくる。

なぜなら、多くのひととは異なる明確な基準が自分の中に生まれてくるから。

その基準に説得力があり、自分の中で整合性を保つことさえできれば、勇気を持って他者とは異なる第三の道を進むことができる。

僕は、これが今とても重要なことだと感じています。

世界は、より圧倒的に正しい主義主張や、より圧倒的に正しいスローガンを求めて日々彷徨っているように見えますが、本当に大切なのは、ひとりひとりの考える胆力のほう。

少しずつでも、第三の選択肢を選び取れる人々が世の中に増えてくることで、少しずつ風向きは変わってくるような気がしています。

何か明確な結論があるわけでもないですが、今日のブログがみなさんにとっても何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。