昨日から、Voicyの配信を始めてみました。
実際に自分でも配信してみて、一番最初に感じたことは、対話相手やオーディエンスの反応が見えない中で、ひとり虚空に向かって喋り続けるということが驚くほどむずかしいということです。
やっぱり、何事も自分自身で実際に体験してみないと、わからないものですね。
どれだけ他人が語る「Voicy論」を聴いてみても、それは他者の体験であり、自己の体験ではないということが、自分でチャンネルを開設してみて、とってもよく理解できました。
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そんな中、今回実際に自分が体験してみて改めて気がついたことは、これは得意・不得意の問題ではなく「筋肉」に関する問題であるということに気づけたことです。
この発見は、個人的にものすごく大きかったです。
30代も半ばに入り、様々な経験を繰り返してきたからこそ気づけたことでもあると思っています。
体験の種類によっては、チャレンジしてみた瞬間に「あっ、これは生まれ持った才能が絶対に必要なやつだ」とすぐに理解できるものもある。
でも今回のVoicyは、今はまったく上手にできなくても、淡々とやり続けていれば間違いなく人並みにはなるなと思えました。
この筋肉系の才能のときに一番重要な要素は、浮き沈みを極力減らし、「淡々と毎日続けること」です。
参照:母国語以外の言語を習得した人が、新たな言語を習得しやすくなる本当の理由。
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そして、この「筋肉系の能力」というのは、鍛えることそれ自体が「楽しい!」と自分自身が思うことができたら、もう9割型はうまくいったようなものです。
もちろん、そうやって継続した結果、社会的な成功につながるかどうかは完全に「ときの運」です。
ただし、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉の「人事を尽くす」の部分は必ずできると確信を持つことができる。
あとは、徹頭徹尾タイミングの問題であり、私にコントロールできることではありません。
継続それ自体が心から楽しむことさえできれば、まずは続けてみることが何よりも大事。
「失敗するかも」とか「笑われるかも」という不安や怖れ、もしくは成功や結果ばかりに意識を持っていかれてムダに皮算用してしまい打算的な心になる、それらを極力避けて、この「楽しい!」という感覚をこれからも大切にしていきたいなあと思っています。
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みなさんも、もし何かいま始めてみたいと思うことがあれば、実際にはじめてみることを強くオススメしたいと思います。
小さくてもいいから、具体的な一歩をまずは踏み出してみる。
そのうえで、自らの経験を通じた体感によって、自分の向き・不向きが明確に理解できるはずです。
これは筋肉系の問題なのか、もしくは生まれ持った才能系の問題なのかを直感的に理解できるようになると思います。
そしてもし自分にとって筋肉系であれば、上手くできない中でも、できないなりに淡々と続けているだけで、いつか「才能」を凌駕することは十分にあり得ます。
参照: 毎日続けることは才能さえも凌駕する。
それは、10年間のあいだ、平日毎日ブログを書いてきて、自らの実体験を通じても本当に強く思うところです。
いつもこのブログを読んでくださっている方にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
しばらくは、このWasei Salonのブログと並行して、Voicyも続けてみたいと思うので、ぜひVoicyのほうもフォローしていただけると嬉しいです!
2022/10/25 10:56