「早く行きたければ、ひとりで行け。遠くまで行きたければ、みんなで行け。」

このブログを読んでくださっている方なら、必ず一度は耳にしたことがあるであろう有名な言葉。

近年続いてきた「個人の時代」の大きな揺り戻しにより、至るところで引用されていて、

いまさら持ち出すのが恥ずかしくなるぐらい手垢がつきまくりの言葉だと思います。

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大抵の場合、この言葉が引用されるときは「チームワーク」を肯定したいときです。

それゆえに、一匹狼タイプのひとや、執筆や創作活動など個人で活動しているひとは、

この言葉が聞こえてくるたびに、どこか居心地の悪さを感じるのではないでしょうか。

僕は、この言葉の一般的な解釈に若干の違和感があるため、今日は自分なりの解釈について少しだけこのブログに書き残しておきたいなと思います。

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この点、この言葉を持ち出して何かしら主張をしたいひとは、「チームワークを大切に!」ということを強く主張します。

しかもそれは「同調すること」に重きが置かれている場合が多い。

論語の中に出てくる「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」のまさに「同じる」のほう。

でも、本来求められる姿勢は「和して、同せず」のほうです。

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そしてさらに重要だなと思うのは、この言葉の「みんな」の解釈の仕方です。

この点、多くのひとは「現代をともに生きる仲間」を指して使うことが一般的。

具体的には、会社の同僚や地域コミュニティの住民などですね。

でも、僕がこの言葉に込められている「みんな」の意味はもっともっと広い概念だと思っていて、

過去も未来も含む、歴史の時間軸の中における「みんな」だと解釈しています。

それは、過去のひとたちが見た景色を自分も見ようと必死で努力することだし、未来の人たちが見たいと思える景色を自ら描くことでもある。

そうやって人類の長い歴史の中における「大きな螺旋階段」の中に自己を位置付けること。

それこそが本当の意味で「みんなで遠くに行く」ことなのかなと。

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これは、ものすごく胆力が必要になる作業です。

過去の人たちの言葉の意味をしっかりと解釈する必要がありますし、

自分がそこから継いだものを、自分なりの表現に落とし込み、未来に祈り託す作業も必要になってくるから。

しかし、そうでもしなければ、どれだけ頑張っても現代を共に生きる数百人、数千人規模の「チームワーク」で終わってしまう。

この「大きな螺旋階段」の中に自分を位置付けた瞬間に、過去と未来を含めた、何万人、何億人と一緒に遠くにいけるようになると思うのです。

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冒頭の話に戻ると、一匹狼タイプのひとも、過去の人たちが見た景色を眺めようとして、未来に祈り託す感覚さえ持つことができれば、「みんな」と遠くに行くことは可能です。

そのためには、タイトルにもある通り、歴史を学び、表現力を磨くことが非常に大切になってくる。

決して「他者との協調性が大事!」とかいったそんな安直な話ではありません。

ぜひ安心して、「ひとり」でそのまま突き進んで欲しいなと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考になったら幸いです。

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