先日、以前ブログにも書いたことがある内容を、Voicyでも改めて収録してみました。

Wasei Salonメンバーのみなさんにもぜひ聴いてみて欲しい内容です。

僕からみなさん宛の置き手紙であり、ボイスメッセージでもあります。

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この点、多くのビジネス書やオンラインサロン、社会人向けの教育機関は「あなたが外の世界(つまり会社や社会などの世間)でモテる方法を教えますよ」という内容で構成されているように思います。

つまり一時避難場所として「精神と時の部屋」みたいなものとして、提供されているわけですよね。あくまで、外の世界のほうが「メインの世界」であるというような。

でも、私たちが本当に欲しっているのは自分たちの居場所のほうだと思うんです。

つまり、緊急避難場所ではなく、欲しているのは世界そのもの。

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ただし、なぜか社会の中で一定の成功を欲しているのは、社会人として失格だと思っているひとっていうのがあまりにも多い。

具体的には、世間の不特定多数の人間から敬意と親切を与えられる人間になるために、私自身がスゴい人間になってモテなければいけないと信じ込んでしまっている。

そんな勘違いが、社会のいたるところでいま発生しているわけですよね。

そう思ってもらわないと、そもそもこの資本主義の世界が成立しないのだから、社会から無意識のうちにそう思い込まされてきたのも、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。

でも、ここで誤解を恐れずに言えば、僕らはもうそのための資質をもう十分に有しているはずなんです。

だとしたら、本当に求めることは、自らがこれ以上にスゴい人間になろうとすることではない。

むしろ、自分が他者に対して、それをどう提供していくことができるかどうかのほうだと思います。

今、僕らは資本主義的な思想にどっぷりと浸ってしまっているせいで、自らの中に存在するそんな親切心や他者に対して敬意を払うという行為に対して、それを他者に無償で提供することはバカだと思っている。

それを貨幣と交換して初めて価値が生まれるんだ、と。

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でも、実際はそうじゃないですよね。

それらは使って減るものでもなければ、むしろそれを思う存分使いきって、自分が他者に貢献できていることを実感できることこそが、自己の腹の底から立ちあがってくる満足感につながる。

そう気づいているひとは、このWasei Salonの中に非常に多いと思います。

だから「目の前のひとに対して親切と敬意を持って接してみませんか」というのが、ずっとこのWasei Salonで行ってきた一貫した提案にもなります。

言い換えれば、日本という漠然とした社会のなかでなんとか他者を出し抜いて、テレビや雑誌で取り上げられるような一流のひとになろうと日々躍起になってしまうよりも、そんな「一流の場所」を、自分たちの手でつくりあげていきませんかという提案です。
それが結果的に巡り巡って、みんなにとって本当に居心地のよい場所になっていくと思うからです。

過度なテイカーやクレーマーさえ存在しなければ、これは決してゼロサムゲームにはなりません。

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5年目に入る年にして、やっとその萌芽が芽生え始めて、うまく循環し始めたのがこのWasei Salonだと思っています。

とっても長かったけれど、その「文化の核」のようなものがやっとできてきた。

これは本当に現在参加してくださっているメンバーのみなさん、そして体験会イベントも含めて、過去に一度でもこのWasei Salonのイベントに参加してくださったみなさんのおかげです。

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さらに、今朝、合わせてこんなツイートもしてみました。
この東浩紀さんのお話って、これからの時代を生きるうえでものすごく大事な視点だと思うんです。

どうしても僕らは、自らの外部を理性でコントロールして自らの理想を手に入れようとしてしまう。

でも、理性や科学でその苦悩をコントロールしてみようとも、私が私である時点でまた必ず苦悩が生まれてくる。

つまり、私が人間であること、そして私たちが人間であること、その理性の外側にある現実に対して常にハッと自覚し続けることのほうが重要なんだと思うのです。

私が私であることからは、死ぬまで一生逃れられないのですから。

これはみなさん日々実感していると思いますが、世界というのは本当に残酷なもので、諸行無常で一切皆苦だし、そんなことを感じている私自身さえも存在しないという事実を突きつけてくる諸法無我でもあるんですが、でもだからこその涅槃寂静があるとも一方で強く思う。

それはひとりの力では絶対に到達不可能な点だと僕は思っています。

そのための公共性を立ち上げる覚悟を背負う者たちがいて、それを願う者たちの手によって意志を持ってつくりあげてられていくものだと思うんです。

既存の社会や公共性のなかで、いかに他者を出しに抜いて成功してやるかではなく、ひとりひとりの強い意志によって理想とする公共性を自分たちで立ち上げて初めて実現可能となる世界。

だからこそ、自分たちが本当に欲している新たな公共性をここから立ち上げていきましょう。

過去の先人たちが残してくれた遺産を精一杯に学び活かしつつ、本当に僕らが次世代に残していきたいと思える公共性を。

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無償で、他者に親切と敬意を与え合うなんて、愚の骨頂だと外の世界では思われるかもしれませんが、それこそが、僕らに託された公共的責務だと僕は思いますし、それが次世代に遺していきたい共同体をつくる第一歩にもつながっていく。

それが本当の意味で、ひとりひとりが心の底から幸福感を感じられることであるはずなのだから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。