つくづく人生とは、小さな習慣、些細な規律を守った上に成り立つものなのだなあと実感しています。

大きな一発逆転を狙うのではなく、怠惰な自分や、退屈して投げ出したくなる自分に、今日もいかに打ち勝つかが重要になる。

この時に一般的に大切だと語られるのは、「意志」の力と、「仕組み」の力です。

どちらも同じぐらい声高に語られる言説なので、どちらを信じればいいのか、わからなくなってしまう。

今日はこの点について、自分の考えを少しだけ書いてみようと思います。

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僕自身、これまでさまざまな書籍を読み漁りながら、有識者との対話も重ねて、何度も何度も習慣や規律においてトライアンドエラーを繰り返してきましたが、

その上で、いま強く実感していることは「意志」の力だけでもなく、「仕組み」の力だけでもダメだということです。

本当に大切なことは、これら両者の「掛け合わせ」であるということ。

「両者は密接不可分である」と言い換えてもいいかもしれません。

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たとえ、どれだけ仕組みが完璧であったとしても、「今日ぐらいサボってもいいや」と誤った判断を下した瞬間に、あと一歩、いやあと半歩が踏み出せなくなる。

やはり、最後の最後は、意志の力に頼らざるを得ないのです。

たとえば「毎朝水を飲む」というような、本当に些細な習慣を実現したいとしましょう。

そのために、起きた瞬間に水がコップに入って目の前に届けられるような仕組みをなんとか実現してみたとしても、人は何かしらの言い訳を用いて、それを拒むことがあります。

今日も絶えずに実行し続けるためには、仕組みによってすべてがお膳立てされたうえで、「今日も正しく実行する」という冷静な判断をもたらす意志の力が絶対に必要となる。

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逆に、どれだけその判断が冷静であったとしても、その習慣が実行されるための「容易な仕組み」が整っていなければ、決して実行し続けることはできません。

無理な努力を繰り返してしまい、それゆえに感じなくてもいい徒労感を感じたりしてしまって、自分には所詮不可能なのだと、自分の能力不足を嘆きながら、短期間で諦めてしまいます。

つまり、両方のアプローチから習慣や規律に歩み寄ることで初めて、今日も実行し続けることが可能となるのです。

だからこそ、自分にとって最適な仕組みを生み出すことと、冷静な判断を下すための意志の力、どちらも同じぐらい重要で密接不可分だと思うのです。

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特に、冷静な判断を導くための心を落ち着かせるため作用を持つ散歩や瞑想などの習慣を、疎かにしてはいけない理由がまさにここにある。

目に見える変化があまり多くはないため、特に疎かにされがちですが、最後の半歩はここにかかっているのですから。

意志の力を正しく発露させるために、心を落ち着かせるための時間は割愛してはいけません。

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最後に、この二つのアプローチによって日々続けられる小さな習慣や規律が、社会の「良い悪い」という判断に流されてしまうことがないように注意したい。

自己が目指す目標のために、効果的に機能し続けているかどうかを、いつも点検(必要であれば更新)し続けていくことが重要です。

そうすれば、必ず昨日とは異なる私に出会えるはずですから。

ここ最近、習慣について強く思うことはこの辺です。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。

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