昨日、こんなツイートをしてみました。

ケインズの「お札を入れた壺を埋めて、それをただ掘り返せば良い」という公共事業の皮肉の話じゃないけれど、日本全国に発行上限が定まったNFTを埋めて、それを掘り返してもらえれば、それだけで経済活性化に繋がる場面もありそう。

大事なことは人々の移動や交流などのコミュニケーションなんだから。

これは、割とすごく大切な視点だと思っています。

なぜなら、そうすることによって新たな「手立て」が整うからです。

それは以前、以下のVoicy内でも語りました。ぜひ合わせて聴いてみて欲しいです。

今日は、この話から拡張し「価値とは何か」を改めて、このブログの中で考えてみたいと思っています。

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この点、以前、「ただいま発酵中」というPodcast番組の中で、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが非常におもしろいお話をしていました。

「なぜヴィンテージワインは高額になるのか」というお話です。

その理由は、イギリス人の影響力のあるワイン評論家が評価するからだそうです。

じゃあ、そのイギリス人が評価するときになぜ高額にできるのか。

それは、生産国(フランス)と、消費国(イギリス)が異なるからだ、と。

そうすることで、原価と価値が切り離されて、いくらでも投機商品として価格が乖離していくことが許されるようになる、と。

つまり「価値があるから届いたのではなく、届いたから価値が生まれたんだ」という話です。

これは完全に目からウロコでした。そして、本当にそのとおりだなあと思います。

どうしても僕らは、最初から価値があるものが広く世界中に届き、それに高額な値段がつくと思ってしまいがち。でも実際は、その真逆なんですよね。

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例えば、ヴィンテージデニムなんかもそう。

アメリカという生産国と、日本という消費地が離れているからこそ、そこに「価値」や「希少性」が生まれて、投機的な価値が帯びるようになるわけです。

じゃあ、なぜそのようなデニムが、日本に届いたかと言えば、それは「日本が戦争に負けて、米軍基地が日本に配備されたから」です。

それ以上でも以下でもない。そこでアメリカンカジュアルの文化が日本に入ってきて、お店も立ち並び、そこに当時の日本人の若い子たちが熱狂して価値を感じるようになっただけです。

一方で日本酒のようなものは、ワインと異なり生産国と消費国が一緒です。

どうあがいても、日本人であれば、ざっくりとした原価なんかも理解できてしまう。

身近なひとたちがその幻想を生み出そうとしても、魔法を解いてしまう人たちがいる。

醸成された「空気」に、すぐに水が差されてしまうわけですよね。だとすれば、高額になっていかないのも当然のことです。

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価値っていうのは、実際のところはそんなふうに生まれている。

最初のうちは、「空気」が醸成される場と、水を差すひとたちが遠く離れていればいるほど良いということなのでしょう。

で、その空気が生まれてきたことに対して、うまみを感じるひとたちが必ず現れて、その人達によって後付けでいろいろな理由が急ピッチで整えられる。

ひとは、意味がわからない現象を、自分の中で納得したがる生き物ですからね。

頼んでもいないのに、謎に価値がついてしまっているものは必ずニュースになり、相手側から何度もしつこいぐらいに聞いてくるようになります。

宗教や神話の話、また進化論の話なんかはまさにその目の前の現象を納得したいがために作り出された、決して正解のわからないフィクションでもあるわけですよね。

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この点、ヒラクさんは「日本の昭和シティポップが、海外のZ世代に人気がある理由も、海外のひとにそれが届くようになったから人気になった」と語っていました。

これも、本当にそうですよね。音楽に詳しいひとたちは、海外のひとたちが懐かしさを感じたとか、そこに何かしらの合理的な理由を必ず見出したがる。

そして、そんな評論家の意見をありがたがるひとたちがフォロワーとして存在し、常に何かしらの合理的な理由を求めたがる。

で、その神のお告げのようなものを聞いて「なるほどー。そんなもんか」と理解したつもりになる。

でも実際は、「Spotifyなどによって、単純に海外のユーザーに届いたから」であって、それ以上でも以下でもない。その届いたことによって、価値が先に生まれたわけです。

こちらも徹頭徹尾、流通の問題なんだと思います。

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ひとは単純に、遠くからやって来た異質なものに価値を感じやすいということなのでしょう。

それはもう、人間の性なのだと思います。

日本人の常世国からやってきた的な話もそうだし、神をマレビトと見立てた話なんかもそう。

僕自身が最近、石垣島で触れてきた「津波石」なんかもそう。

深海から津波の力でやってきたと聞かされただけで、なんだか純粋に神々しいなあと感じてしまった。完全にこの罠にハマってしまったわけです。

みなさんが必ず体験したことがあるであろうもっと身近なところの例でいくと、転校生がなぜかモテてしまう、みたいな話も完全にこの原理。

「転校生だからモテてしまう」そこに理由なんてありません。

転校生という存在がクラスというコミュニティに遠くから届いたからこそ、転校生がモテているだけなんです。

それをあとから、意外とカッコいいとか、意外と性格がいいとか、そうゆう理由付けがなされるだけ。

でもそれって全く本質的じゃないじゃないですか。少なくとも似たようなスペックを持ち合わせた生徒は、クラスの中でいくらでも存在している。

単純に、日々のつまらない退屈した学校生活の中に、異質なものが届いたからこそ、それに対して全員が近寄って、興味を持った。

ハレとケの大きな落差が、その価値を生んだわけです。

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ここまで、人間の思考の癖とは異なる話をしているから、非常にわかりにくい話をしているように感じるかと思いますが、でも実際のところは何事においても、この順序なんです。

この点、「宏観異常現象」という現象なんかは非常によくわかりやすい。

「宏観異常現象」とは、大地震が起きた後に、そういえば今朝から雲がおかしかったとか、動物たちがやけに騒いでいたとか、後付で何かしらの「予兆」や「原因」のようなものを見つけ出そうとする思考の癖が人間にはあるそうです。

どうしても、理解することができない目の前の事象を、自分にとって何か理解できる意味に回収したくなる。

帰納法的な観察、その思い込みや勘違いから生まれてくる現象です。これは、人類が神を見出した瞬間から始まった脳の癖みたいなものなんでしょうね。

逆に言うと、この脳の癖があったからこそ、人間はお互いに助け合うことができて共同体を築き、ここまで繁栄することができたとも言えそうです。

コミュニティや共同体の成員が全員納得する「共同幻想」を後付で作り出さないと、コミュニティが平常運行にもどらないってことがよくわかっていたんだと思います。

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さて、NFTの業界では、昨日から「フリーミント」の流れが加速しています。

タダで配られた「ノーユーティリティ」というものに対して、驚くほどの値段がついている。

これもきっと、祭りのワクワク、その期待感が今の価値を生み出しているのだと思います。

NFTという仕組みによって、それを楽しみたいという層にすぐに届いたからこそ、生まれた価値。

じゃあ、それはただの「記号」であって何の意味もないのかと言えば、決してそうではありません。

冒頭でも述べた通り、その無意味で無価値なものをひたすら人々が交換し合うことによって、そこに「手立て」が整うことに意味があるのですから。

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そして、なによりも、これをいま僕らが生の現象としてダイレクトに目撃していることに、僕はものすごく大きな意味があると思っています。

自らが、強烈なFOMOのような感情に煽られながらも、その煽られている自分に矢印を向けて、「なるほど!そういうことか!」と感じ取れること。

今まさに僕らは、そんな価値が生まれる瞬間に自らの内側から立ち現れてくる焦燥感をダイレクトに感じながら、その場に立ち会っているわけです。

この現実にもっともっと目を向けていったほうが良いと思います。

なぜなら、世界のありとあらゆる真っ当そうな事柄は、すべてはこの順序で価値が生まれたのだから。

価値なんて、こんなもんなんだとわかるようになると、世界が全く異なって見えてくる。伝統や権威性のあるものだって、最初はすべてこのように始まった。

それは喩えるなら、真っ当そうに見える大人も数十年遡れば、誰もが昔は鼻水を垂らした少年だったことを知るように。

でも、そこにこそ人間の源泉が存在しているのもまた事実。生まれたての赤ちゃんを観察するような感じにも近いかもしれません。

それを発見する過程に、本当の価値があると思う。

なぜなら、それが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」ということ、その発見につながるからです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。