具体的には「カンブリア宮殿」や「ガイアの夜明け」など。
この1年間、「コロナの影響で何が変わったのか」その変化をザーッと把握できます。
また、コロナ発生から約一年が経過し、少し時間をあけることで、冷静に観られるのもメリットです。
ほかの企業や経営者の方々が、昨年一年間の変化を受けてどのような判断をしたのか知るうえでも、とってもいい方法だと思います。
経営や意思決定に携わっているひとには、ぜひオススメしたい方法です。
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さて、そんな感じでさまざまな企業のコロナ下の施策を見ていると、
コロナ以前から「何があっても雇用を守る」と掲げてきたひとたちが、軒並み苦戦しているなあと感じます。
この点、「雇用を守る」ことが、これまでの日本では盲目的に善とされてきました。
特に、ブラックな労働環境になりやすい飲食店やアパレルなどの分野では、働きやすいホワイトな環境下で雇用を守ること自体が、ここ数年の大きなトレンドになっていたかと思います。
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だからこそ、賢い経営者や起業家のみなさんは一所懸命に雇用を守れる「システム」や「仕組み」をつくってきた。
しかし、コロナほどの想定していなかった大きな波が突然襲ってくると、そのシステムや仕組み自体が全く機能しなくなってしまう。
また、差別化された優れた「システム」や「仕組み」であればあるほど、そこでしか生きていけない人間を作ることにもつながるジレンマもあります。
水を綺麗にすればするほど、そこでしか育つことができない鮎みたいな魚が住み着くのと同じ原理です。
だからこそ、その職場から突然解雇された人たちは路頭に迷い、再度またブラックな労働環境の現場へと戻っていってしまう…。
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この点、まず大前提として「労働者の雇用を守る」ことは非常に尊いことだと思います。
それは過去にも何度もブログに書いてきたとおり。
参照:生産性向上・副業OK・パラレルキャリア前提の社会は、雇用される側にとって残酷な社会となってしまうのか? http://inkyodanshi21.com/lifestyle/10262/
その上でいま改めて思うことは、「雇用を守る」背後にある、より大きな目的についても考えてみたいです。
それはきっと「企業のもとで働いてくれている人たちが、自分の人生や家族の時間など、何も犠牲にすることなく、健やかに生きていけるようにという願い」からだ思います。
「雇用を守る」というのは、そのひとつの手段に過ぎません。
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鮎のように綺麗な川の水でしか生きていけない身体にされて、再び大海に投げ出されるのは、
結局のところ労働者に対して時間と引き換えに「現金」を配っているのと変わりはなく、企業に最適化された単純労働者を育てているに過ぎません。
大海に投げ出されたらまた死んでしまいます。
やっぱり大切なことは魚(労働時間と引き換えに現金)を与えることではなく、「魚の釣り方」それ自体を教えることなのだと思います。
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具体的には、一緒に「資産」をつくること。
それは例えば、お金を生み出してくれる資産やスキル、人的ネットワークの構築などです。
経営者本人が介在しないところでも、勝手に仕事が発生している経済圏や町のようなものを創り出す。
それは会社よりも、もっともっと緩やかな生態系であり、コミュニティに近いものなのだと思います。
それが3年前に書いたような「魚を釣るときのワクワク」と「魚釣りが大好きな人たちのコミュニティ」の話にもつながっていく。
参照:「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」のその先へ。 http://inkyodanshi21.com/wasei/motokura/11500/
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「お互いに自立したうえで、健やかに依存し合う。」
一見すると矛盾するような話だとは思いますが、これからの世界で創り出すべき世界観は、このような世界観だと僕は思います。
キッパリと、守る側(経営者)と守られる側(労働者)に分かれてしまうのではなく、いつでも何度でもその立場を逆転できるように。
ドンドン経営者を超えていって自立してもらう。
そんなことを考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、これからの働くを考えるきっかけとなったら幸いです。