2019/10/08 11:43
「どこへ行っても、誰と会っても我であれ。」
札幌出張中に、たまたまホテルで出川哲朗さんが出ていた『金スマ』を観ました。
この番組の中で紹介されていた出川哲朗さんのお母さんがいつも仰っていたという言葉が、個人的にめちゃくちゃ刺さりました。
それがタイトルにもあるように、
「どこへ行っても、誰と会っても我であれ。」
という言葉です。
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どうしても僕らは、
誰に対しての?
どの場面においての?
というような、小手先のテクニックで場を切り抜けようとしてしまいがち。
学校教育がまさにそんなテクニックの連続で評価される環境だったから、当然といえば当然の結果なのかもしれません。
僕自身も、何度となくそんなテクニックを模倣し、学校教育をなんとか切り抜けた側の人間でした。
でも、本当は出川さんのお母さんが言うように、「どこへ行っても、誰と会っても我であれ。」という考え方の方が実社会では大切で。
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性格がいいとか悪いとかって、実はあまり関係ないのだと思います。
もちろん、コミュニケーションが得意・不得意とかも関係ない。
それよりも、いつ何時であっても、我を貫けているかどうか?の方が大切なんです。
なぜなら、僕もこの歳になってやっと気がついたのですが、役割や居場所を与えてくれる立場にいる優秀なひとって、そのひとの一貫性を常に見ているから。
その上で、ここに配置すれば、その人が一番輝きそうだと、ただそれだけを判断している。
ひとの善し悪しなんて、あってないようなものだと割り切って判断している場合が、ものすごく多いんです。
にもかかわらず、小手先のテクニックで回避しようとし、目の間にいる人間や置かれた状況によって、コロコロと態度を変えてひまうひとは、信用できなくて当然ですよね。
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もちろん、これは仕事の上司と部下の関係性だけでなく、仲間内であっても同じことだと思います。
あなたが長年付き合っている友人たちの顔を思い出してください。
「こいつは、いつもこうだから」と安心できる関係性だからこそ、長年ずっと一緒にいませんか?
逆もまた然りで、こいつらの前だから自分は本当の”我”であれる。だから一緒にいる、というような。
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もちろん、時が経過するごとに自己が変化していくことは構わないと思います。
人間だから、過去と価値観が変わってきても当然。
ただ、その変化でさえも、我の感覚や直感に正直であれ、ということなのだろうなと。
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そうやって自己を貫けるひとが、最終的には役割や居場所が与えられるのだと思います。
もちろん、我を貫く中で、他者から誤解を受けたり、嫌われたりすることもあるでしょう。
でも、大丈夫。
我を貫いてさえいれば、必ず自分を必要としてくれる環境や、出会いに恵まれるはずですから。
そんなことを考える今日この頃です。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。