どうしても複数の人間の良いところばかりが目に入ってきます。
どれも魅力的な発信ばかりでついつい目移りしてしまい、それぞれの言っていることが真逆だったりもするためドンドン頭が混乱してきます。
この点、もし自分以外の他者から真剣に何かを学び取りたいと思うのであれば、
ひとりの人間を狭く長く深掘りすることをオススメします。
今日はそんなお話を少しだけ。
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どんな人間の人生にも、必ず波は存在します。
重要なことは、そのひとが失敗した時や苦難の状況に陥ったとき、どうやってそこから立ち直ったか。
自分の中で「このひとがおもしろい!この人が気になる」と思ったら、そのひとの失敗した部分や、ダメな時期も含めて積極的に観察してみるのです。
そこから学べることはとても多いはず。
実は、自分がダメだと思っていた部分であっても、その人のキャラクターの本質だったりします。
また、その経験がそのひとの判断軸において大きな役割を果たしていたりもする。
このあたりは、ひとりの人間を狭く長く深掘りしていかないと、決して掴むことができない事柄です。
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一方、上述した通り、SNSでは他人の良いところばかりが可視化されてしまいます。
それぞれが積極的に自分の成功した部分ばかりを、自己提示しているから当然のこと。
わざわざ自分のダメなところを積極的に晒すひとなんて稀です。
そんな成功談ばかりが載っているSNSを見ていると、ついつい他人と比較してしまい「自分はなんでうまくいかないんだ…」とへこむのは至極当然の話なんです。
逆に言えば、もし仮に他者の不幸ばかりが集まるSNSがこの世に存在したら「自分はなんて幸せ者なのだろう…!」と心の底から感動してしまうはず。
自分の感覚なんて、それぐらい相対的なものなのです。
さまざまな目的が入り乱れ、その異なる目的に対して手段やアプローチは十人十色。
そんな議論を眺めていちいち惑わされてしまうよりも、ひとりの人間を徹底的に深掘りしたほうが結果的に得るものは大きいはずです。
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そういえば先日、オーディブックで聴いた『独学大全』の中に「古典の定義」が紹介されていました。以下がその内容です。
「古典とは、単に古い書物を言うのでも時代を超えた真理を蔵している書物のことを言うのでもありません。 古典とは、歴史を経て多くの注釈書が書かれてきた書物のことです。 」
これは、人間でも全く同じことだと思います。
偉人と呼ばれる人はたくさんの注釈書が書かれている(研究されている)、だから偉人。
先人たちのおかげで、そのエピソードにこと細かく触れていくことができるようになっています。
歴史的な偉人であれば、ゆかりのある土地に記念館がある場合も多いです。
もちろん、その近所の図書館にはありとあらゆるその人物にまつわる書籍が書棚に並んでいます。
積極的にそういった場所に足を運んでみるのも良いと思います。
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最終的には、そのひとが自分に憑依して「◯◯さんなら、このように判断するはず」と自信が持てるようになるところまで分析することができるようになったら最高です。
そうやって、自分の中に立場がちがう人間が最低でも3人存在すればもう十分。
自分だけの「妄想円卓会議」が行えるようになると思います。
参照:緊急時こそ、自分の妄想円卓会議に誰を招集するのか?が重要になる。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/407a7c9c8fe4
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今日書いたお話は、若い方には特におすすめしたい方法です。
SNSで広く浅く他人を眺めるのはやめて、卒業論文を書くようなつもりで、狭く深くひとりの人生を深掘りしてみましょう。
現代はそれが行いやすい時代でもあるかと思います。
いつもこのブログを読んでくださっているひとにとっても今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。
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