昨日、こんな記事を書いてみました。



今日はこの続きとなります。

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一般的にひとは、うまくいっている他者のアウトプットばかり注目してしまいがちです。

そして、そのアウトプットを必死で真似ようとしてしまう。

でも、そうやって真似てつくられたものは、外側や見た目はまったく同じでも、中身がなくてスカスカだと感じることって、すごく多いと思います。

今日はその理由について、以下で少し考えてみます。

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この点、事業でも文章でも、基本的には人間が辿る思考過程は、以下のような構造になっていると思います。

1.事実認識(世界をどう見ているか)

2.問題提起(何が課題だと思うか)

3.仮説、持論(どうすれば課題解決できるか)

4.実験、検証、具体例(アウトプット)

5.結論(実際にどうなったのか)

6.新たな次の問いへ。

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多くのひとは、この中の4番目の「アウトプット」ばかりを気にしてしまうわけですよね。

だからこそ、あの人が「何をつくったのか?」「何を始めたのか?」ばかりに注目してしまう。

でも、本当に価値があるのは、1番目の事実認識のほうであり、「世界をどのように認識しているか」のほうなのです。

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ではなぜ、多くのひとは1番目を疎かにしてしまうのか?

その理由は、世界はひとつで、みんなが同じものを見ていると信じているからなのでしょう。

でもその認識は誤りで、世界はたったひとつでも、ひとりひとりがまったく違う見方で世界を捉えている。

つまり、この世には70億通りの世界(の認識)が存在するわけです。

当然、そこから生まれてくる「問題提起(問い)」も全く異なります。

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そのひとの「事実認識+問い」から生まれてくるアウトプットだからこそ、そこに魂が籠るし、日々の改善も続けられる。




一方で、アウトプットだけを真似してしまうと、それがうまくいかなくなった途端、その礎となっていた前提が全く存在していないため、改善の余地も思い浮かばずに、すぐに時代遅れのものになってしまう。

これがまさに、スカスカの原因です。

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だからこそ、他者から真剣に何かを学び盗み取りたければ、あえてアウトプットには注目しない。

そのひとが見ている先、世界の認識のほうに目を向けてみるのです。

他者の視座から学び、自己の解像度を高めていくとはつまりそういうことだと僕は思います。

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逆に言えば、何か自分の事業やコンテンツなど、本当の意味で他者に理解してもらいたいと願う場合には、

自己の事実認識と問題提起のほうを丁寧に説明して、自分と同じ地点(視座)に立ってもらう必要がある。

アウトプットに対する細かな説明は、そのあとからでも十分に間に合います。

いつもこのブログを読んでくださっている方にとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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