先週末、奈良から少しだけ移動してみました。

新たな宿の近くには、思いがけず図書館がありました。

そこで思い出したのが、こちらのツイート。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1223111753061453824?s=20

さらに驚いたのは、その近くには「お城」まで存在していたのです。

参照:図書館とお城の近くに住みたい。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/85f5f7871000

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これもまた、呼ばれたなあと思いました。

それは何か「人知を超えたもの」ではなく、自分自身の「好奇心」に呼ばれたような感覚です。

これはとっても不思議なことなんですが、社会における建前や、社会通念に則って「こうすべき」と信じ、自分で作り出した予定や計画というのは、ことごとく失敗し、その行手を阻まれてしまいます…。

少なくとも、僕はいつもそうでした。

過去にうまくいかなかったことを思い返してみれば、それは全て「こうしたほうが賢い、絶対に得をする」と思い計画したことばかり。

しかし一方で、自分の「好奇心」にしたがって、正直になると、今を生きられるようになる。

以前から自分が「こうなったらいいなあ」と漠然と求めていたものが、自分でも思いがけない(忘れていた)タイミングで自然と目の前に現れてくるのです。

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この感覚、何かに似ているなあと考えていたら、イソップ童話の「金のオノ、銀のオノ」の話に近いと思います。(邦題『ヘルメースときこり』)

「金のオノのほうが得をする、どうせ女神も真実を知る訳ではないから、こっちの方が賢い選択だ」

そうやって「金のオノが自分のオノだ」と嘘をついたきこりは、自分のオノまで没収されてしまいます。

しかし、正直なきこりは「自分のオノは金でも銀でもない」と答えました。

そうしたら女神は、「これも授けてあげましょう」と、金のオノも銀のオノも同時に与えてくれた。

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この童話のように、自分の正直な気持ちに従って突き進んでいると、それが相互作用を及ぼし、いま求めていなかったものまで勝手に引き寄せてくれる、そんな感覚です。

こんな体験を人生の中で何度か繰り返していると、どうにかしてこの現象に再現性を持たせることができないか、と考えてしまう。

しかし、こればかりは本当に、予想して準備できることではないなあとも思います。

追い風とか、良い波にも近い。宇宙の法則、自然の摂理に作用されること。

だからこそ僕ら人間にできることは、いま自分の中にある正直な「好奇心」に従うしかないのだと思います。

参照:いつまでも、あると思うな、好奇心。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/729143b8d388

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さて、世間の三密を避けて、ローカルの図書館にひきこもり始めてみると、その書籍の数に圧倒されて、また新たな発見や問いが生まれてきました。

これまで、何か知りたいことがあれば、都内の大型書店が一番いいと思っていましたが、僕が最近興味を持って調べてみようと思っていた「仏教」や「この国の成り立ち」については、書店よりも図書館のほうが圧倒的に蔵書数が多い。

少し予定を変更し、ここにしばらく滞在しながら、毎日図書館に通いつつ、「大人の自由研究」に精を出してみようと思います。

参照:夏休みも近いし、みんなで「大人の自由研究」やりませんか? | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/cde417cc17ba

今日の拙いお話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。