最近、SNSやニュースから情報摂取することを断ち、そのかわり「かたい本」を積極的に読むようにしています。

そうすると、自分の中に大きな変化が起きてきました。

その変化とは、理解できないところをドンドン飛ばし読みできるようになったこと。

今日はこの自己の変化を振り返りつつ、僕のまわりにいる飛ばし読みが苦手な人と、飛ばし読みが上手な人の特徴について書いてみたいと思います。

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この点、飛ばし読みが苦手な人は、大抵の場合「几帳面な性格だから、最初から最後まで丁寧に読んでしまうんです…」と、言い訳しがち。

僕も、最初はそうだと思っていました。本の読み方には、性格が寄与する部分が大きくて、自分も多少律儀なところがあるから、飛ばし読みができないのだと。

でも、本人も薄々気付いている本音は、きっと違います。

「こんな文章さえも理解できない自分はヤバい…。恥ずかしい」という感覚のほうがきっと大きいはずです。

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一方、日ごろから「かたい本」を読んでいる習慣があるひとほど、そんな羞恥心は一切なく、飛ばし読みが非常に上手だったりします。

なぜなら、彼らは最初からすべてが理解できるはずがないと割り切っている節があるからです。

「かたい内容で、さらにこのひとが書いた本なのだから、自分なんかが一回で理解できるわけがない」と、読む前から潔くあきらめている。

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で、実際にそういう人に、本の内容について聞いてみると、本当に大して読めていないのです。こっちが拍子抜けするほど。

こちらが印象に残っている部分を言及してみても、「そんなこと書いてありましたっけ?」と悪びれる様子もなく、しれっと返答してくる。

それを決して恥ずかしいことだとも感じていないご様子です。

その理由は、彼らにとってかたい本というのは「辞書を読む態度」とさほど変わりがないからなのでしょう。

飛ばし読みするのが当たり前で、その不完全さを最初から自らの内で許容しているわけです。

しかし一方で、もちろんちゃんと読めている部分もある。

それが自身の仕事や活動に、いきているわけですよね。

そして、ここに一番大きな差が生まれてくるわけです。

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「そもそも私は、何のために本を読んでいるのか」

その目的に立ち返れば、何かしらの気づきや発見を、自分の活動にいかすためだと思います。(小説など娯楽作品を除く)

だとすれば、自分の仕事や活動にひとつでも役に立つ部分が見つかればラッキー!ぐらいな感覚で、一向に構わないはずなんです。

いや、「役に立つ」必要さえ全くないかもしれません。

昨日の自分と、今日の自分が変化すること、「これは!」という強烈な瞬間だけを味わい、自身の脳が変容さえすればいい。

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なまじやわらかい内容のビジネス本ばかり手に取ってしまうから、簡単に理解できる本だと誤解してしまう。

そんな本の中に、理解できない部分が出てきて、「こんな簡単な文章を理解できない自分はヤバい…」と焦り出し、何度も何度も繰り返し丁寧に読み込んでしまう。

でも、大抵の場合、そういった難解な部分は著者自身もちゃんと理解できていないことが多いから、著者と一緒に混乱してしまい、大きな足止めを喰らうハメになる。

大切なことであれば、そのあと何度でも、ほかの本の中で、別の語り口を通じて出会うはずです。

だとすれば、「好きな語り口と出会えるまで理解できなくてもいいや!」と割り切ってしまったほうがいい。


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飛ばし読みが苦手なままだと、ドンドン本を読むのが億劫になってしまいます。

その結果、簡単なビジネス本やマンガばかりに手を出すようになり、それさえも理解できない時が出てきて、瞬間的に理解できるSNSやニュースばかりを追うようになる。

この悪循環にハマってしまうと、なかなか抜け出すことはできません…。

そんな時には、一足飛びに「かたい本」に手を出してみると、いいのかもしれません。

少なくとも、僕はこの方法で本の読み方がガラッと変わりました。

「聴き流し」が可能なオーディオブックも、合わせて全力でオススメしたいです。

僕の初めての「飛ばし読み」体験は間違いなくオーディオブックで、それが現在への架け橋となっている部分も非常に大きいと思っています。

いつもこのブログを読んでいる方々にとっても、何かしらの参考となったら幸いです。

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