(※この記事は、サロン内のタイムラインに限定公開した内容だったのですが、後日自分でも読み返したくなるだろうなと思い、検索しやすいように外部公開に変更しておきます。)
僕らは、自分の意見とは「何か明確に自分の中に言いたいことがあって、それを脳内から言葉に変換(言語化)し、自分の体外(脳外)に発信しているだけ」だと思ってしまいがち。
だから、このサロンを始める前の僕のような人間は、「読書会なんて参加するだけ時間の無駄」だと考えてしまう。
日々考えていることや書きたいことは、日常的にすべてブログ(日記や自己の表現活動)の中で書いてしまっているんだからと。
いま考えると、本当に愚かな考え方だったなあと思います。
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本当は、その場に集まっているひとたちがつくりだす場の雰囲気が言葉を紡ぎ出している。主体はあくまでも「場」です。自分はあくまでその「通り道」に過ぎない。
「情報の交差点」という概念もまさもそう。
だからこそ僕らは、「読書会」のような空間に身を置くと、最初に全く考えてもみなかったようなことを、自分の口からスラスラと喋ってしまう。それがまるで読書会に参加する前からずーっと考えていたかのような口ぶりで。
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つまり、人間のアウトプットのカギは、いま目の前の空間が「通り道」としてちゃんと機能しているかどうか、だと思うのです。
それは、キレイに掃き清められた神社仏閣なんかをイメージしてみるとわかりやすい。
僕が人生で初めて霊性的な体験をしたと信じているのは、奈良にある天河大辨財天社なのですが、今でもハッキリと覚えているのは、巫女さんたちが竹箒で境内をずっと掃き清めていた様子です。
結構長い時間その場に滞在していたと思いますが、ちょうど今ぐらいの紅葉の時期だったためか、ずっと掃き続けていたのです。
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これらのことを踏まえて、今ぼくが強く思うのは、創作活動とは、自分にとって天啓だと思える”何か”が通るに値すると自分が本気で信じられる場(空間)を淡々と設計することなのではないかと。
そうすれば、自然とそこに“何か”が流れ始めるから。
それは、神様や仏様が降りてくる場所とかそういう神秘的な話だけではなくて、私の大好きな友達が気兼ねなく話せる場所とか、家族が笑顔で帰ってきてまた次の日にも元気に出かけていきたくなる家とか、そういうところでも全く構わない。もちろん、会社組織も、最初はそういった目的意識でつくられていたのでしょう。
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改めて言うまでもなく、僕にとってはこのWasei Salonはまさにそんな場所です。
毎日の運営及びブログの執筆なんかも、「通り道」として機能するように淡々と掃き清めている感覚にとても近い。
ものすごく感覚的な話ではありますが、そうやって自分にとって筋の良い「通り道」を淡々と整えることが、人生を楽しむための秘訣のように思います。
一般的によく言われる「クリエイティビティの源泉」みたいなものも、きっとこの「通り道」のことを言っているに過ぎないのではないかとさえ思っています。
2021/11/01 18:47