先日Voicyで配信した、Wasei Salonメンバーであるおのじさんとの対談回、サロンメンバーの方々を中心に聴いたうえで反応をもらえていて、とても嬉しいです。
特に、「ある種の諦めを抱えながら前に進む、理想を忘れない現実主義」の話、この感覚が伝わってくれていて、とても嬉しく思います。
改めてこの場を借りて、あのお話を直接引き出してくれたおのじさんには大きな感謝を伝えたい。
今日は、このテーマについて、もう少しこの場で掘り下げて考えてみたいなと思います。
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まず、僕が考える「諦め」は、決してネガティブな要素だけではありません。
確かに、ネガティブな側面も多分に含んではいますが、それ以上に重要なのは「再出発」のニュアンスなのです。
人と人とが完全にわかり合えないのは当然の帰結であり、そこから新たに再出発するしかない。そんな認識が、この「諦め」という表現の中には含まれています。
「人と人とが、わかり合える」という理想的な状態には到底到達できないことは、ある意味で自明なことです。
しかし、それでもなお、そこで匙を投げずに、前に進もうとする、その過程で得られる価値を信じている、それが僕の考える「諦め」の本質なんですよね。
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この考えを深めるきっかけとなったのが、以前にもご紹介した村上春樹さんの『アンダーグラウンド』に書かれていた一節です。
この本は、地下鉄サリン事件の被害者62名への取材をもとに書かれています。その「あとがき」の部分で、村上さんは興味深い反省と洞察を同時に語っています。
村上さんは、取材の過程で、何人かの人々を不用意に傷つけてしまったのではないかと危惧していると語ります。
それは時に不注意によるものであり、また時に無知に基づくものであり、さらには自身の人間的欠陥によるものだった、と振り返っています。そして「この場を借りて陳謝したい」とあとがき部分で書かれているのです。
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で、僕が「この本のための取材を想像しただけで吐きそうになる」と以前書いた理由も、まさにこの点にあります。
取材を始める前から、傷つけ合うことが完全に予想できてしまうんです。それを避けながら、このような本を作り出すことはできない。
だから普通なら、そんな状況、つまりこの本をつくろうとする行為自体を避けるはずです。お互いに傷つくことは、火を見るよりも明らかなわけですから。
しかし、村上春樹さんはそれでもこの取材を遂行しました。その過程で、予想通りの困難に直面し、自身の反省すべき点や想像もしなかった自らの「傲慢さ」に気づいたとも書かれていました。
つまり、大方の予想通り、全然うまくいかなかった部分も、たくさんあったのだと思うのですよね。
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ただ、この経験を踏まえた上で、村上さんのその後に続く考察部分に、僕は本当に深く感銘を受けたのです。
これこそが、ある種の諦めを抱えながらも、その先に向かうということの一つの答えだと感じました。
以下は『アンダーグラウンド』のあとがきからの引用となります。
たしかに地下鉄サリン事件によって深い傷を負った被害者の方の気持ちからすれば、この本を書いている私は「安全地帯」からやってきた人間であり、いつでもそこに戻っていける人間である。そんな人間に「自分たちの味わっているつらい気持ちがほんとうにわかるわけはない」と言われても、それはしかたないと思う。まさにそのとおりである。わかるわけはないと思う。
しかし、かといって、そこでそのまま話がぷつんと終わって、相互的なコミュニケーションが断ち切られてしまったら、私たちはそれ以上どこにもいけないだろう。あとに残るのはひとつのドグマでしかない。
そのとおりでありながら(そのとおりであることを相互認識しながら)、あえてそれを越えていこうと試みるところに、論理の煮詰まりを回避した、より深く豊かな解決に至る道が存在しているのではあるまいかと考えている。
この言葉に出会ったとき、僕は思わずアンダーラインを引き、すぐにスクリーンショットを撮ってしまいました。
特に最後の一文、「そのとおりでありながら(そのとおりであることを相互認識しながら)、あえてそれを越えていこうと試みるところに、論理の煮詰まりを回避した、より深く豊かな解決に至る道が存在しているのではあるまいか」という部分が、非常にすばらしい視点だなと思ったんです。
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これは約30年前に出版された書籍ですが、現代の社会においても、まさにこの「ひとつのドグマ」に囚われた状態が広く世の中に蔓延しているように僕には見えます。
それぞれが自分の信じることだけにしか「価値」を見出さず、それぞれのイデオロギーにドンドンと固執していく。
そして最終的には、白黒はっきりさせるために裁判だったり、戦争だったりといった「力」による解決に至ってしまう。
しかし、そうではない道があると思うのです。「わかり合えない」ことを認識しつつも、あえてそれを超えていこうとする試み。その運動にこそ、論理の行き詰まりを回避した、より深く豊かな解決への道が存在する可能性があると僕も思うのですよね。
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この点、多くの人は、実際に解決に至る道があるかどうかということばかりに目を向けがちです。
しかし、僕自身はそれさえもあまり重要ではないと考えています。それよりも、そこに踏み出そうとする意欲や行動、勇気そのものに大きな価値がある。
なぜなら、ともに乗り越えようとした経験それ自体に価値が宿るはずですから。もちろん、お互いを完全に理解し合おうとして、それでもわかり合えなかったという結果は、容易にそれは大きな絶望に変わりうるでしょう。
しかし、最初から「わかり合えない、それはそのとおりである」というある種の「諦め」を大前提としてお互いに共有しているからこそ、その乗り越えようとする過程において、相手との間に「新たな橋」がかかる可能性が生まれてくるはずなのです。
繰り返しますが、ここで完全にわかり合える必要はないのです。
解決に至る完璧な道は存在しないかもしれない、それを理解した上でなお、前に進むことができるかどうかがきっと僕らには試されている。
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これは、まさに北極星を目指して前に進むようなものです。地球上にいる限り、つまり僕たちがこの星の物理法則に縛られている限り、北極星に到達することはありません。
しかし、それを目指して地球上をぐるぐる回ることには、間違いなく意味があると言いたいんです。
僕はこの二段階の過程が、非常に重要だと考えています。まず、完全な理解や解決が不可能であることを認識する。そして、それでもなお前に進もうとする。この姿勢こそが、真の意味での「理想を忘れない現実主義」につながると思っています。
そして、この姿勢の先にあるのは、間違いなく未来への希望なんですよね。(とても青臭く聞こえてしまうかもしれないですが)
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自分たちの世代で完全な解決ができなくても、次の世代は自分たちよりも賢明かもしれない。また、そこには新たなテクノロジーも登場しているかもしれません。
宇宙開発やメタバースなど、新たな大陸が人類の可能性を広げているかもしれない。
だからこそ、問題を未来に先送りすること自体も、ときには必要だと思うのです。しかし、それは決して単に放棄しているわけではない。積極的で能動的な諦めです。
そこで得られた自分たちの経験や知見を、しっかりとバトンとして次世代に託していくことが重要なのでしょうね。
自分たちの世代だけで全てを解決しようとするのではなく、過去の先人たちの営みに感謝をしつつ、その贈与をしっかりと発見して、自分たちもまた過去の先人たちがそうしたように、未来に託そうと思えることが大切だなあと思うのです。
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言い換えると、このような諦め前提の「移動」や「運動」に挑み続けること。
まさに、ホームとアウェイを行き来すること。ひとつのドグマに執着をしない、真の意味での「遊行の民」としての生き方そのものです。つまり、真の「ノマド」の精神がまさにここにある。
僕が「旅」という概念やメタファーを大切にしたい理由も、まさにここにあります。ここでいう「旅」は、物理的な移動だけでなく、精神的な探求も含みます。
定住することは、ひとつの価値観に縛られることを意味していて、それに対し、移動や探求を続けることで、自分の村の外にある価値観の存在を理解し、しかしそれをもって他者を侵略するのでもなく、むしろ橋をかけることができるはずなのです。
これこそが半ば定住し、半ば旅をする「遊行の民」、ノマドの役割だと考えているということでしょうね。
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僕は、このような精神的なスタンスを実践する場として、Wasei Salonを運営しているつもりです。
そして幸いなことに、このコミュニティには正しい諦めの意識を持ちながら、それでも橋をかけようとする人たち、その過程そのものに価値を見出す人たちが、日々着実に集まってきてくれています。
これは本当にありがたいことであって、皆さんのおかげでこの空間は計り知れない価値を持つ空間になっていると感じています。
単なる意見の交換の場ではなく、お互いの違いを認識しつつ、その深い断絶は埋まることも決してなく、それがわかったうえでなお、歩み寄ろうとする姿勢を共有する場所。それがWasei Salonだと思っています。
完全な理解や解決を求めるのではなく、その不可能性を認識しつつも、前に進む勇気を大事にしていきたいなあと思いますし、その価値を身体感覚を伴って強く実感していきたいなあと思う今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になっていれば幸いです。