今朝、Wasei Salon内でコミュニティマネージャーの長田さんが投稿していたお悩み相談が非常に興味深かったです。

この相談内容を考えていたら、ブログを一本書けてしまいそうだなと思ったので、今日はこのお悩み相談に対する自分なりの回答を書いてみたいと思います。

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その相談内容とは、「思考が止まっている感覚を持つことがありますか?あるとすれば、その時どうしていますか?」というもの。

もちろん、僕にも身に覚えのある感覚です。

思うに、「思考が止まっている感覚」にもふたつのパターンがあると僕は思っています。

具体的にはタイトルにもあるように「思考の散らかりか?思考の枯渇か?」です。

思考の散らかりの場合は、自分の中にその素材があるのはわかっているのだけれど、それがまだバラバラで、うまくまとめられない状態。

思考の枯渇の場合は、そもそもその素材自体が存在しない状態を指します。

どちらの状況に陥っても、文章をうまく書くことができません。(アウトプットできない状態に陥ります)

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この点、思考の枯渇の場合は単純で「枯渇していると感じているものは何か?」それを自分としっかりと対話して、その枯渇感に見合いそうな良質なコンテンツを吸収していく。

僕の場合は「散歩+オーディオブック」で解消することが多いです。(あと最近だと『100分de名著』を観ることもある)


映画やアート、舞台を観に行くというひとも多いと思います。

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厄介なのは、「思考の散らかり」のほうです。

この場合、僕は身体的に整えている感覚を得ていくことに注力します。

例えば、家の中の整理整頓をしてみる。

具体的には、洗濯をしてみたり、掃除をしてみたり、断捨離をしてみたり。

または、仕事において日頃疎かにしていた経理作業など、単純ではあるけれど面倒で避けていた整理整頓作業などを率先してやってみる。

そうやって、目の前の課題を、感情(気持ち的な散らかり)から感覚(物質的な散らかり)に切り替えてみるんです。

そうすると、不思議なことに、身体感覚から整理整頓されていく状態を体感することで、感情も次第に整理整頓されていく。

このように整っている感覚を体得していくと、自然と思考も整理されていき、アウトプットできる状態まで自然と到達できるんです。

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もちろん、これは身体的に整う感覚が伴えば、ヨガやお料理など、瞑想状態に入りやすい作業であればなんでもいいと思います。

この感覚の変化をわかりやすい例にたとえると、子供の感情の変化なんかがわかりやすい。

さっきまで機嫌の悪かった子供が、おもちゃを与えた瞬間に機嫌が良くなることってありますよね。それと同じような感覚です。

この子供の場合でも、本人の意識が感情(不機嫌)から、感覚(触覚)にシフトすることによって、機嫌そのものが良くなってしまうという感じです。

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あとは、大前提として、まわりとあまり比較しないことが大切。

この焦りというか焦燥感のようなものは、「他のひとはうまく書けているのに、自分だけはうまく書けない…」という嫉妬心のようなものが見え隠れすることが多いです。

そんな自分に気づいたら、「あっ、今自分は嫉妬しているんだな。だから焦っているんだな」と自覚して、そんな自分の感情にしっかりとラベリングしていく。

そうやってラベリングだけ行ったら、あとは原因が「枯渇」なら良質なコンテンツのインプットを、「散らかり」なら家事などの単純作業を行い、淡々と整理整頓を心がける。

僕は、このような形で「思考が止まっている状感覚」に対処してきました。

相談者の長田さん以外にも、今日のお話が何かしらの気づきや発見につながったら幸いです。