最近、ポルカのことを話題にあげるひとが増えてきたなあと思います。

2017年当時のポルカによる支援の循環、その投げ銭によるやり取り自体が、今のFiNANCiEトークンと非常によく似ている感覚があるからだと思います。

ちなみに、ポルカを知らない方に説明しておくと、すでにサービスが終了してしまったマイクロクラウドファンディングサービスで、CAMPFIREの家入さんたちが中心に開発されていたアプリです。

アプリさえダウンロードすれば、誰でも簡単にその場ですぐにクラファンを立ち上げることができて、そのクラファンのURLを知っているひとであれば、こちらも誰でも簡単に数百円単位から支援できるというようなサービスでした。

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思い返してみれば、このWasei Salonも最初は21人からスタートしていて、その主要なきっかけのひとつは間違いなくポルカだったように思います。

当時、SNS上でなんとなくつながっていた者同士、そしてその中でもさらにポルカで頻繁にやりとしりているメンバーを中心に僕が声がけしたのが、Wasei Salonの初期の21人だったように記憶しています。(記憶が曖昧なんで、順序が前後していたらすみません。)

声がけをした理由は「あー、このひとたちは自らが何か夢中になるだけではなく、他者を応援しようという気風というか性格、そういうもの初めからしっかりと併せ持った人たちなんだ」と感じたからです。

このときすでに、コミュニティの萌芽みたいなものがうまれていたんだと思います。

当時の僕は、今後はこのような助け合いや、コミュニティ(当時はそんな言葉あまり使われていなかったですが)こっちのほうが明確に「財産」になると思ったんですよね。

そう考えてみると、今のトークンエコノミーの機運っていうのは、あのころからすでに始まっていたんだなあと腹落ちします。現在は、完全にその地続きにあるのだ、と。

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つまり、ポルカがなければ、このWasei Salonもきっと存在していなかったと思っています。

あの当時、あの瞬間に何気なくポルカを触っていたひとたちが、たまたま同世代(20代)に多かったことは、本当に重要なことでした。

大きな金額ではなくとも、数百円から数千円というレンジでお互いにトークンを投げ合うようにやりとりをしていて、お互いのやりたいことを純粋に支援し合う文化があったことは、今振り返っても本当に素晴らしいことでした。

もちろん、そこからつながったご縁やお仕事、得られたチャンスや報酬みたいなものも多種多様に存在していたのだけれども、実際に一番大きな財産はそのときに築いた関係性そのものだったんですよね、いま振り返ってみると。

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たぶん、あのときにポルカに触っていたひとたちは金銭的に言えば、みんなプラマイゼロだったと思います。

なんなら、手数料など諸々を考えるとだいたいみんなマイナスで終わっていたはず。

結局、自分が投げたお金が行って帰ってきたみたいな感じでしたからね。

でも世界に対しての認識や信頼、インターネット上で出会ったと友人たち、そしてその友人のまた友人たちに対する認識みたいなものがガラッと変わってしまったという意味で、完全にプラスだったはずです。

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で、僕は今のFiNANCiEにおいても、まさにそうだと思うのです。ポルカとVALUの後継者が、まさにFiNANCiEですからね。

何度も繰り返し語ってきたように、トークンを購入し送り合うこと、そのやりとり(トランザクション)にこそ価値がある。

もちろん、このFiNANCiEというサービス自体も、5年後にも残っているかどうか、それは本当に誰にもわかりません。

ポルカのように、5年後には綺麗さっぱりとサービスが終了している可能性だってあり得なくはないはずです。それは本当に、神のみぞ知ることだと思います。

ゆえに「そのような中央集権的なサービスに対して、紙くずどころか電子ゴミとなって、本当に跡形もなく完全に消え去る可能性のあるトークンを買って、一体どういうつもりなのか?」そのような批判は、至極まっとうな指摘だとも思います。

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でも一方で、ポルカの経験から言うと、そのプラットフォーム上でやり取りされて築かれた人間同士の「関係性」は決して消えない。

それぞれのユーザーの中に「記憶」としてしっかりと残るんです。そのようにトークンをやり取りしたという、人間同士の気持ちのやり取りというのは、消したくても消せないものとなる。

そしてトークンエコノミーは、そういうところから新たな芽がまた生まれて、次へと着実につながっていく。

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僕らのWasei Salonは今年で6年目に入っていて、オシロさんを使うようになってからは、サロン内ポイントのやり取りが今はメインになっています。

このポイントを送り合うという文化そのものが、ポルカの意志をはっきりと受け継いでいるなあと僕は思う。

このような投げ銭的なやりとりは、相手に応援している気持ちや頑張ってほしいというポジティブな想いを、言葉だけではなく体重をのっけて、やりとりすることができる。

その礎や文化観みたいなものは、間違いなくポルカで育まれたものであって、その意志や文化を引き継いだ次なるものに、必ずバトン自体がつながっていく。

たとえサービス終了のような形でトークンやその形式自体が消滅したとしても、そこで築かれた感覚というのは連綿と続くものになる。

それは、自分がこの7年という長い時間をかけて、自らの身体感覚を通して、はっきりと理解できたことの一つです。

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ゆえに、FiNANCiEで初期サポーターになったというような事実は、どちらに転んでも大きな財産へとつながっていくんだろうなあと割と楽観的に構えています。

2017年の頃に書いたブログのなかでも「今、VALUやCAMPFIREのような評価経済社会の循環の中に参加しておいたほうがいいと思う理由」というタイトルの記事を書いたことがあるのですが、まさにこの循環の中に入っておくことに、意味があるなあと思っています。

この循環内で「何か得をしてやろう、自分だけがいい思いをしてやろう、持ち逃げしてやろう」が、本当に一番コスパが悪い。

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さて、今日のこの話を通じて一番何を言いたいのかといえば、すでに、トークンエコノミーのつながりは世の中にたくさん生まれていて、7年以上の月日が経過して、今があるんだということです。

これからはじまるというよりは、もうすでにはっきりと進行している。決して絵空事ではない状態で、です。

ポルカの熱狂を丁寧に振り返りながら、こんなにもリアルな形で存在しているんだってことに、なんだかハッとしたんですよね。

だったら、粛々と応援し合う文化に身を浸すこと自体は、それほど悪くはないと思う。

そして、その行動が「不作為」で良いことは、改めて最後に強く強調しておきたい。

副業のように捉えて、時間がない中で必死に活動する必要はないんですよね。

ただ、トークンのようなものを購入し、それを持ち続けて、ただ見守り、ときに送り合って、お互いを応援し合えばいい。

価値観や文化観が近い者同士が、迎えにいきたい未来像みたいなものをしっかりと共有すると、明確に新たな価値をつくりだすことができる。それは今、様々なNFTプロジェクトやFiNANCiEプロジェクトがハッキリと示してくれています。

今後、それらの値動きがどうなろうと間違いなくここで生まれたつながりや、バトンのようなものは、しっかりと未来へとつながっていくんだろうなあと思います。

また、ここから5年後〜10年後がどうなっているのか、本当に楽しみで仕方ないです。

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最後に、僕が好きな中村天風の言葉の中に、以下のような言葉がありまして、それをぜひご紹介しておきたいです。

情け深い気持ちで、ものを見、ものを聞き、人と交わることをしてごらん。その情け深い気持ちだけでもって、誠と愛と調和という人間の階級の高い気持ちが、ひとりでに心の中に湧いてくるんだ。そのような気持ちで生きると、第一番にありがたいことは、くだらない生命力の消耗がないんです。


これは、僕自身が毎日のように読み返している言葉のうちのひとつでもあるのですが、最近さらに強く実感している言葉です。

このような考え方や表現に対して、人それぞれに好き嫌いあるとは思いつつも、情け深い気持ちを大切にすることで、本当に文字通りくだらない生命力の消耗はなくなるし、今のトークエコノミーのような文化が広く浸透していく前夜においては、とっても大切な心構えだなあと感じています。

もちろん、口で言うだけではなく、粛々と実行していきたい。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。