近年、資本の投資先に「社会課題」を解決するようなビジネスが選ばれる傾向が顕著になりつつあります。

これは、10年前では考えられなかったこと。

現代において、あらゆるジャンルにおいて「余剰利益」を産んでくれそうな分野がもう開発され尽くした証拠でもあるのでしょう。

いわゆる「経済合理性限界曲線」のお話です。

現代に残っている分野は、経済合理性限界曲線の外側にある分野、つまり「余剰利益」を産んでくれない分野だけ。

しかし、この限界曲線の外側にある分野であったとしても、「消費者の新たな欲求」さえ喚起することができれば、そこにまた余剰利益を生んでくれるビジネスが生まれてくる可能性がある。

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言い換えれば、これまで人々の「思考の外側」に放置されてきた問題を、思考の内側に呼び起こすことによって、人々はまた新たに消費し始めることがわかった。

それがきっと、現代においては「社会課題」なのでしょう。

だからこそ、それを見込んだ投資家たちが増えてきて、結果的に行き場を失った資金がそちらに流れ始めているのだと思います。

これは、一見するととても素晴らしいことのようにも思えます。

トリクルダウン効果のようにも見えなくはない。

でも、一方でそうカンタンに受け止めることができない複雑なジレンマも存在する。

以下、順を追って説明してみたいと思います。

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そもそも投資家たちが投資先を選ぶ基準というのは、繰り返しますが、その事業が「利益」を産んでくれるか否かです。

投資した以上のリターンを産んでくれるから、そこにお金を投資する。それ以上でも以下でもありません。

では一方で、一般の人々はどんな商品に対してお金を支払い、購入するのでしょうか。

それは、自分たちの欲望を満たしてくれる商品が市場に投入されて、そこに選ぶ理由が生まれたときです。

その「新たな欲望、選ぶ理由」というのが、現代の社会においては、これまで思考の外に放置されてきた「差別」されてきたひとたちの救済であり、放置されてきた「環境」の保護だというわけですよね。

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ただし、ここでいま新たに喚起されている人々の欲望というのは、「後ろめたさ」や「疚しさ」になる。

これは、従来の人間の欲望、たとえば「食欲」や「寒さの解消」などとは異なり、実態のない欲望になります。

人間であれば、必ず「後ろめたさ」や「疚しさ」のようなものは、多かれ少なかれ背負っている。

それらをことさらに煽って、新たな消費を喚起させようというのは、人々のコンプレックスを煽って、消費させようとする構造と何も変わりません。

そして、この構造それ自体が資本主義社会を発展させて、格差社会を招いてきた元凶でもあるわけです。

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いわゆる、ハゲやデブやブサイクなどを解消する、コンプレックス消費も、それを金銭的に解決できるひとたちが「美しい」と言うことになり、記号的な役割を果たし、社会的な優位に立てることになる。

それまでは「思考の外側」の問題であり、社会の中では大して誰も気にしていなかったことなのに、です。

つまり、資本というのは、そうやって新たな差別化要因を自ら意図的に作り出し、自作自演のような格好で再投資されていくことで、より一層その格差は拡大していく方向へと向かうのです。

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今の社会課題ビジネスもそう。

「その商品が社会課題を解決しているかどうか」従来の人々は商品を選ぶ基準としてそんな価値観は全く持ち合わせていなかったにもかかわらず、新たな欲望として喚起されるようになってしまった。

そして、社会課題を解決しているビジネスが良いビジネス(会社)だということになり、本来新たに消費する必要のない商品までもまた売れていき、その会社(に集まる)資本がますます増大していくことになる。

つまり、今解決しようとしている社会課題の解消それ自体が、長期的に見れば、格差や搾取を助長してしまうことに繋がってしまうわけです。

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このように、どう足掻いても「消費の論理」の中に組み込まれてしまう…。

たとえこの先、現代の社会課題がすべて解決されたとしても、同様のことが起きてしまうことでしょう。

具体的には、人々がいま完全に「思考の外」に追いやっている問題(たとえば「動物の権利」や「宇宙のゴミ」、「内臓の美しさ」など)を、多大な広告を用いて思考の内側に誘き寄せられて、また新たな欲望として喚起させられ、この資本の論理の中に組み込まれてしまう…。

その結果、ますます資本家が富み、格差は拡大することになる。

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この葛藤に対して、どう向き合えばいいのか。

正直、今のところ僕には全くわかりません。

「とはいえ、目の前の社会課題が少しずつでも解決されているのだから良しとしよう!」なのか、

「いやいや、そもそもこの構造の中に組み込まれて、同じ消費の構造、資本の論理を繰り返すことが諸悪の根源なのだから、そのループから解脱する方法を探ろう!」なのか。

そんなことばかりを考えてしまう、今日このごろです。