「共同体が失われた」と叫ばれて久しい昨今。

それでも「ヨコの共同体」の復興は、いま各地で進んでいるように思います。

ここで言う「ヨコの共同体」とは、みなさんが想像しているような「中間共同体」の話。

具体的には、移住者も含めた新たな地域住民のつながりだったり、オンラインコミュニティのようなものの勃興もそうだと思います。

また、お寺や教会、公民館の新たな使い方の模索にしても、このヨコの共同体の復興の形だと思います。

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一方で「タテの共同体」の復興は、全く進んでいないように思います。

タテの共同体とは、自分が連綿と続く歴史の中に組み込まれているような感覚を指します。

具体的には、柳田國男の民俗学の中でも語られているような自分が「ご先祖さま」になるという感覚。

今の私たちが存在するのは、ご先祖さまたちのおかげであり、そして自らも「ご先祖さま」となり、子孫たちから同じように敬ってもらえるであろうという期待感、そんなタテの系譜の中に自らも位置づけられるような共同体のイメージです。

江戸時代までの「家」や「藩」のようなものが、わかりやすくこのタテの共同体の在り方だったのだと思います。

そのように広義の家族(共同体)を繋いでいき、自分以外の何か大きな集団の命をつなぐために、自発的に「奉仕」していきたいと思える感覚。

日本人にとっては、ここが実は大きな「寄りどころ」となっていたのだと思います。

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しかし、それらは戦後にすべて解体されてしまいました。

「個人の自由」や「個人の幸福」といった西洋的な概念がドンドンと国内に持ち込まれて、それに憧れを抱かされることによって、「この私の幸せ」を最優先に追い求めるようになってしまった。

その時に一番邪魔くさいものだったのが、この「タテの共同体」からの束縛だったのだと思います。

もちろんこの「個人の幸福」を煽る流れは、他国が日本にモノを売りたいからに他ならず、その結果、核家族化も進んでいって、冷蔵庫や洗濯機のような家電、車などを各家庭にひとつずつ「消費」させるように仕向けられていったわけです。

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それでもかろうじて、その「奉仕の精神」は戦後の会社組織に受け継がれていった。

高度経済成長を支えていた家族経営を行っていた会社は、広義の家族(共同体)の感覚を持たせてくれていたわけですよね。

今の若い世代にはとても考えられないかもしれないですが、会社に奉仕することが心の安寧につながっていた時代が、この国には間違いなく存在していました。

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でも、その会社でさえも幻想だとわかり、ドンドン崩壊してしまっているのが今のタイミング。

そして、会社組織が発展すればするほど、ドンドン記号的な「消費」と「資本の論理」の中に飲み込まれてしまうというジレンマ。

グローバル化が進展する中で、どうしても形を変えた帝国主義的な価値観(管理社会)の中に取り込まれていってしまうわけです。

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以上のような理由から、同時代を生きる人々と共につくりあげ、お互いに助け合う「ヨコの共同体」の復興とともに、

時代を異にする人々と共につくりあげ、もっと大きなものに奉仕していると感じられる「タテの共同体」の復興も今同じぐらい求められていると僕は思います。

このふたつの共同体への帰属意識があって初めて、本当の意味で心の安寧は得られる。

さもなければ、多くのひとは根無草のようにいつも不安と恐怖に苛まれてしまうのでしょう。

(※もちろん、いつの時代も一定数ノマド(遊牧民)のような人たちも存在しますが、それは仏僧のように少数派)

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とはいえ、今から家や藩、戦後の会社のような組織を再度復興することもはや不可能でしょう。

だとすれば、新たな形の「タテの共同体」の復興、いや創造がこれから必要なになっていくのだろうなあと。

それが今後どんなものになっていくのか。

最近は、そんなことばかり考えています。