答えのない問いを延々と議論していると、最終的にたどり着いた結論が、どこかの本で読んだことのある凡庸な結論にたどり着いてしまうことがあります。

F太さんと一緒に配信している有料Podcast番組『お金と人のないしょ話』や、このWasei Salonの対話型オンラインイベントなんかもまさにそう。

しかし、この議論や対話の過程を経て、自己の内側から立ち上がってきたその答えらしきものは、自分にとってはかけがえのないものになる。

他者と全く同じ結論であっても、他人の答えを本で読んで知るのと、対話を通じて自らたどり着いた答えでは、そこに雲泥の差が生じます。

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でもそうすると必ず「そんなことに時間を費やしてどうなるの…?」という批判も同時に浮かんできます。

「それこそ、おまえたちは『車輪を再発明』して喜んでいるだけじゃないか!」と。

この名言の衝撃は大きく、誰かが以前たどり着いたことのある答えにたどり着いてしまうと、なんだかものすごく無駄なことに時間を費やしてしまったように感じます。

ただし、この名言を用いる際に「道具」と「思考」は峻別したほうがいいと僕は思うのです。

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車輪のような「道具」の場合は、確かに再発明しても何の意味もありません。

現代の場合であれば、ゼロペースで自動車やスマホを新たにつくろうとしてはいけない。完全なる時間のムダです。

それよりも、先人たちが必死で開発してくれた自動車やスマホを最大限駆使しながら、さらに便利な新しい「道具」をつくることに、貴重な時間を費やしたほうがいい。

そして次世代に新たなバトン(道具)を手渡していくべきです。

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でも、「思考」の場合は、そうではないのかもしれないと思うのです。

自分の頭で必死に考えながら、同時代に生きる他者と対話しながら、その過程を個々人が体験することが非常に重要なってくる。

なぜなら、自ら考える過程を体験してみることで、壁にガンガンとぶち当たり、その結果、「この先は行き止まりの道なのか」と理解できたり「近道を経由してたどり着いてしまう危険性」なども、手にとるように理解できる。

これは以前、このブログにも書いた「宗教の教義をつまみ食いしてしまう危険性」とも非常によく似ている話だと思います。

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さて昨日も書いたように、僕らが生きるために必要な道具はほとんどすべて開発され尽くしたのが、2021年の今です。

そう考えると、これまで生きるためだけに必死だった大衆が、ずっと疎かにしてきた「考える」時間や、「対話する」時間に自分の余暇の時間をドンドン当てていくタイミングなのかもしれません。
言い換えれば、21世紀は大衆である僕ら一般人が、「自分の頭で考え、対話していく時代」なのだと思います。

「巨人の肩の上に乗る」という言葉もありますが、登山と同じでヘリコプターを使ってその肩の上にたどり着いても何の意味はない。

巨人の肩の上まで、必死でよじ登るその過程を全力で楽しみながら、さまざまな思想家たちがたどり着いた景色を対話を通してみんなで共有していく。

大航海時代ならぬ「大対話時代」の到来です。

そのための空間として、このWasei Salonのような場も活用してもらえると嬉しいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。