海外NFTトレンドを発信しているすけさんのこちらのツイート。


web3は「ブランドの一部」になることができる、それがWeb1やWeb2とは異なるのだという内容がご紹介されていました。未邦訳の洋書にかかれてあった内容だそうです。

これは本当にとても秀逸な表現だなあと思います。

具体的には、Web1.0からWeb3.0にかけて、僕たち個人はどう変化して来たのか?」

Web1.0:あなたは〝消費者〟である。
Web2.0:あなたは〝商品〟である。
Web3.0:あなたは〝ブランドの一部〟である。
ゆえに、デジタル所有を通じて、個人は消費者、参加者、又は所有者、更には投資家にもなれる。

これが、Web3.0がもたらす重要な違いであると。

これまでの変遷をものすごく上手に言語化していて、非常にわかりやすい分類かつ言語化だなと思いました。

きっと、本当にこのあたりがひとつの大きな変化になってくるんだと思います。

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で。この時に、「ブランドの一部」としてステークホルダー側になる人間として、しっかりとあらかじめ考えておきたいことは、その光と同時に「影」の部分は一体何なのか、という視点です。

というのも、Web2のときに「あなたたちは商品です」という話で、僕らは熱狂してここに入ってきたのか?というと、実際にはそうじゃないわけですよね。

この3つの比較は「結果、結果、予想」であり、しかも、web3だけは非常に希望に満ちた予想ということでもあることにおいては明確に注意が必要だなあと。

もちろん僕は、今のトレンドに水を差したいわけではなく、ここを考えておくことで、より理想的にweb3の世界を迎え入れることができるんだと思うからです。

今日はそんなお話を、このブログの中でも書いてみたいと思います。

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では、過去を振り返り、Web2の登場時、特にSNS登場のときに一体何が叫ばれていたのかを思い出してみたい。

それは、「これからは個人が『メディア』になれる時代だ」と叫ばれていたわけですよね。

「一億総クリエイター社会」のような感じで語られて「あなたはメディアであり、アーティストであり、クリエイターになれます」と言われて、みんなこの美しく三拍子揃った大きな夢や希望をいだいて、意気揚々とWeb2の世界に参入してきたわけです

いわゆる「ハイパーメディアクリエイター」のようなものを目指して。

そして、実際に個人がメディアとなりクリエイターとなり、SNS発のアーティストになったひとたちが、世の中には既にたくさん存在している。そして、いま彼らが「インフルエンサー」と呼ばれています。

そんなふうに、いち早く参入したイノベーターたちの様子をみて「自分も、もしかしたらあんなふうになれるかもしれない…!」と期待を抱き、雪崩を打ったように一般人がドンドンと参入してきた。

そこにYouTubeが非常に上手いタイミングで「好きなことで、生きていく」という広告によって発破をかけて(このとき既にかなり恣意的だった)、若いひとたちを中心に文字通り踊らされて群がった結果として、僕らはGAFAのための「商品」に成り下がったわけです。

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ということは、今回もきっと間違いなく「ブランドの一部」という話の光の部分とは裏腹に、その影の部分も存在するはずで。

で、次のフェーズに入るとき、つまりweb4が語られるときには、間違いなくそのweb3の影のほうがフォーカスされるはずなんです。

だから、もしいまweb3に参入をするなら、そこまで思考や想像を巡らせてみて、web3に参入しておきたいものだなあと思います。さもないと、結局またWeb2と同じ轍を踏んでしまいかねない。

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ただ、とはいえ、これっていうのは現状においてまったく予想できることではないとは思います。これから何が起きるかは、本当に誰にもわからない。

僕らが、まさかWeb2参入当初にGAFAのような企業の「商品」になるとは思っていなかったように、です。

そして、間違いなく提供者側、つまりたとえばザッカーバーグだってFacebookのもととなっているサービス「Facemash」をつくったときには、ここに集まるユーザーを「商品」にしてやろうなんて、思ってもみなかったはずだと思います。

単純に楽しそうだから、ワクワクするから、という興味関心軸で一介の大学生が始めたSNSだったわけですよね。

でもそれがいつの間にかあれよあれよと有名になり、誰が意図したわけでもなく広がっていった。結果的にそこに構造的な問題が発生し、いつの間にか集まる人間が「商品」に成り下がったというほかない。誰か犯人がいるとすれば、資本主義そのものです。

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この点、もちろん現状で既に想像できるweb3の負の側面もたくさん存在するとは思います。

いわゆるマルチ商法のような形になってしまうとかポンジスキームになるとか、様々にあげつらうポイントは現状でもたくさんある。ChatGPTに聞けば、それこそ無限に列挙してくれます。興味がある方はやってみてください、僕もさっき試してみました。本当に無限に出てきます。

でもそれは、Web2時代における個人情報がバレるとか、炎上してしまったらどうするのか?とか、はたまたデジタルタトゥー問題みたいな話であって、たぶん参入前から誰もが予想できていたような懸念点に過ぎなくて。

それでも、それに勝るメリットがあれば「実名顔出しで発信するひとたち」は必ず現れてくるわけですよね。

このあたりは、先日けんすうさんもご自身のコラムのなかで書かれていたように、それこそ当時の堀江貴文さんや、はあちゅうさんあたりが国内においてはまさにその第一人者だったかと思います。

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そして、web3系のサービスやNFTを提供する側も決してバカではないので、そのあたりの現状予測される懸念点というのは、ことごとく潰しにかかるはずなのです。

少なくともそう感じられないような状況をつくりだす。もしくはその不安が感じられても、それ以上のメリットのほうをつくりだすことは、まず間違いないわけです。

逆に言うと、Web2時代の実名顔出しのデメリットを凌駕してしまうような魅力があったからこそ、人々が雪崩をうったようにして一気に参入してきたように、そのような「魅力」を生み出さない限り、web3はキャズムを超えない。

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だから僕自身は、あまりそのあたりに関しては不安視はしていません。改善されていくのは、もう時間の問題だと思うからです。

それよりも、もっともっと別の角度の落とし穴や影の部分がここから生まれていくと思うのです。

その”発生”に対しても同時に自覚的でありながら、今からweb3に触っておくことが非常に重要だなあと感じています。

「まさに悲観的に準備して、楽観的に対処する」というあの話です。

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あと、なにゆえ僕がこんなにもステークホルダー側のスタンスに対して、繰り返しずっと言及し続けているのかと言えば、今回のバージョンアップにおいて問われているのは、僕らステークホルダー側の態度やふるまいの方だと思うからです。

ここが今日一番強調したいポイントかもしれません。

だからこそ、あらかじめここの部分を、全員で考えておくことめちゃくちゃ重要だと思っていて、自分から発信し問いかけたいし、みなさんと共に考えたいなとも思う。

このあたりを丁寧に考えておかないと、また悲観の投げ売りのようなことが起きてしまうことにもつながりかねない。そうすると、さらに未来は遠のくだけです。

つまり、今回は提供者側よりも受領者側の一挙手一投足のほうに掛かっているのです。求められているのは、受け手側の行動変容のほう。

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これは余談ではありますが、なぜか僕の中でよく記憶に残っているのですが、Web2の時の2010年代前半のころ「ヒカキンのリアルイベント、小学生しかいないwww」って、みんながはてなブックマークでバカにしていた現象です。

でも、そこから10年経った今、その小学生は全員大学生か社会人なわけですよね。もう立派な大人。ゆえに今のヒカキン人気が継続していて、完全にレジェンド的なポジションなわけでもあります。

逆に言うと、当時の状況というのは、スクリーンの向こう側で一体誰が観ていようがあまり関係ない時代だったとも言える。それよりも「人」が観ていることこそが重要だったわけです。

でも今回は、その観ている人間が、一体誰なのか、そして一体どんな態度なのかのほうが、プロジェクトの成否においては圧倒的に重要な時代に入ってきている。

つまり今回は、ステークホルダー側の理解力や振る舞いのほうが強く求められている。画面の向こう側のひとたちが一体どれぐらいまで深いところまで考えて、中長期の目線を持てる人間が、その場にどれぐらい集まっているか、なんですよね。

その正しい答えを、提供者側と受領者側で探り、発見したものをキレイに一致させて、それを実行に移すことができたところが、爆発的なヒットを生むはずです。

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しかも今回の変革期は、わかりやすくダイレクトに札束で殴り合うことができてしまう世界線でもある。

ひとり1アカウントとして、1再生や1フォロワーだったこれまでの牧歌的な世界観とは全く異なる。

さらにweb3の根本思想として流れる思想みたいなものは、わかりやすく国家権力との対立でもある。いわゆるテクノリバタリアンみたいな思想が、根底には流れているわけです。

また、さらなる現代の特殊性は、そこに圧倒的な第三勢力である、何を考えているのかわからない宇宙人のようなAIも登場してきていること。

彼らAIが人間を超える力を持つのか、持たないのか。そしてそれが、一体誰の味方なのかも現状まだはよくわからない。

ゆえに、ここからものすごくきな臭い方向に進んで行ったとしても何の違和感もありません。

それは以前もこのブログで書いたとおりです。

極端な話、イーロン・マスクが、AIとロボット、そして戦車のようなテスラと宇宙からの全方位的なアプローチを駆使して、アメリカ連邦政府に戦争をふっかけているような未来がやってきても「あー、未来はそうなったのね」ぐらいにしか思わないような状況です。

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だからこそ、今から淡々と自らで体感し、自らがこの変革の被験者となりながら、体感しておくことが僕は本当に大事だなあと思っています。

このあたりは、しっかりと自らリスクを取って、自分自身が半分実験台になりながらも模索していきたいところです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。