僕が幼いころ、何度も何度も繰り返し観ていたアニメ映画のひとつに『ピノキオ』があります。

なぜかわからないけれど、我が家にあった数少ないビデオテープのひとつで、僕はそればかり好んで観ていた時期がありました。幼いころは、セリフを暗唱できていたときもあったらしいです。

昨年、改めて『ピノキオ』を見返すタイミングがあったのですが、本当に驚くほど美しい映画でした。

まったく古めかしさを感じさせないどころか、その表現力の豊かさに圧倒されてしまうほど。昔はこんなに美しい映画が手描きでつくられていたのか、と。

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さて、なぜ突然『ピノキオ』の話を書き始めたのかいえば、ピノキオに出てくるクジラの意味がやっとわかったからです。

最後のクライマックスで、唐突におじいさんとピノキオがクジラに飲み込まれて、そこから脱出するというシーンが描かれています。

手に汗握るシーンですが、実はこれって神話のにおける典型的なプロットなのだそうです。

最近、読み終えた神話学者ジョーゼフ・キャンペルと、インタビュアーであるビル・モイヤーズの対談本『神話の力』から、少し長いですが引用してみます。

ー引用開始ー

モイヤーズ  (クジラの)腹のなかというのは、神話的にはどういう意味がありますか。 
キャンベル     腹のなかというのは、食べ物が消化され新たなエネルギーが創り出される暗い場所ですね。ヨナ(旧約聖書中の人物)がクジラに飲まれた話は、ほとんど全世界に分布している神話的テーマの一例なんです。英雄が魚の腹のなかに入り、最後には変身を遂げて出てくる。 
モイヤーズ     英雄はどうしてそんなことをする必要があるんでしょう。 
キャンベル     それは暗闇のなかへ降りて行くことです。心理学的に言うと、クジラは無意識の領域に閉じ込められた生命の力を表しています。隠喩として見るなら、水は無意識、水中の生き物は無意識の生命またはエネルギーです。それは意識の領域内での人格を圧倒し続けてきた。その力を弱め、それに打ち勝って、それをコントロールしなければならない。

この種の冒険の第一段階では、英雄は、彼がなにがしかの支配力を持っていた住み慣れた世界を離れ、別の世界の入り口へとやってきます。湖の岸とか海辺ですね。そこでは深淵の怪物が彼を待ち受けている。で、ここで二つの可能性があります。ヨナのタイプの物語では、英雄は怪物に飲まれて奈落の底へ落ちて行き、のちによみがえる──死と再生のテーマのバリエーションですね。意識界の人格は、ここでいかんともし難い無意識のエネルギーの支配下に入り、試練と啓示に満ちた恐ろしい夜の海の旅をしなければなりません。それと同時に、どのようにしたらこの闇の力と折り合いをつければよいのかを学ぶ。そして最後に腹から出てきて新しい生き方に到達するわけです。

ー引用終了ー

いかがでしょう。ここでは『ピノキオ』の話は一切出てきませんが(それよりも古い時代の対談です)まるでピノキオのストーリーをそのまま語ったような内容で、本当に驚きました。

そして「水=無意識、クジラ=無意識の領域に閉じ込められた生命の力」の隠喩であるということも、大人になって思い返してみれば、非常に納得がいく。

当時の僕は、これが新しい物語だと思って、オリジナリティ溢れるストーリーを観せられているのだと感じつつ、その"新しさ"の虜になっていたわけですが、実は何度も何度も繰り返し語られてきた「神話」をなぞっているだけだったのです。

ちなみに、この無意識の「闇の力(クジラや龍)」と出会うというパターンには、もう一つの流れがあるようです。

本書の続きから再度引用してみます。

ー引用開始ー

キャンベル  もうひとつの可能性は、ジークフリートや聖ジョージが龍を退治したように、英雄が闇の力と出会ったとき、それをやっつけて殺してしまうことです。しかし、ジークフリートの場合、彼は龍を殺したあとその血を飲まなければならなかった。龍の力を自分のなかに取り込むために。ジークフリートが龍を殺してその血を飲むと、彼の耳に自然の歌が聞こえてきた。ジークフリートは自己の人間性を超越して自然の力と──私たちの生命の力である自然の力と──再び結合したのです。私たちは知性のおかげでその力から引き離されているのです

私たちの意識は、自分こそ万事を取りしきっていると思っていますね。しかし、そうじゃない。意識は人間全体のなかでは二次的な器官であって、それが主人になってはいけないんです。意識は肉体を備えた人間性に従属し、それに仕えなければ。もし意識が支配者になってごらんなさい、意識して政治的意図だけで生きるダース・ベーダーみたいな人間になりますよ。

ー引用終了ー

意識が支配者になってしまうと、ダース・ベイダーのような闇落ちをしてしまう。

実際に今この世界では、政治的意図だけで生きるダース・ベイダーのような支配者の手によって、戦争が始まっています。

現代のような神話が軽視されている時代だからこそ、改めて僕らが神話から学ぶことって、実はたくさんあるかもしれない。

歴史は何度も何度も繰り返すのだから。

もうしばらくジョーゼフ・キャンベルの書籍を積極的に読み込んでみたいと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。