「◯◯さんらしい」や「◯◯さんっぽい」という言葉は、肯定的な意味合いとして使われることが多いです。

でも、果たして本当にそうなのでしょうか。

現代においては、「自分らしさに固定化されないこと」のほうがむしろ重要なんじゃなかろうかと。今日は一風変わったそんなお話です。

ーーー

この点、自らのキャラクターを明確に定めるとは、絶対にやらないことを決めることです。

この場において、自分というキャラクターに求められている言動だけを、期待通りに実行する。

それ以外のことは、たとえどれだけ自分の頭の中に浮かんでいたとしても、口が裂けても絶対に言わない。それがキャラクターを明確にするということです。

ーーー

従来の社会の中では、そのように各人の役割(らしさ)が固定化されていることが強く求められていた。

なぜなら、それがコミュニケーションを円滑にするからです。そこに集まる人間のキャラクターが明確であればあるほど、そこには、台本があるようなテンポで話が進んでいく。

「自分が今この場でこの話題を振れば、相手はこの切り口で必ず返してくれるはずだ」その期待が強ければ強いほど、話は円滑に進みます。当たりまえですよね。

ーーー

少し話は逸れますが、先日サウナに入っていたら、テレビで『サザエさん』が流れていました。

サザエさんに出てくるそれぞれのキャラクターの性格は、僕が小学生のときに観ていたときと一切変わっていません。それがキャラクターを演じるということです(変わったのは声優さんだけ)

サザエさんのように、何十年経ってもキャラクターが変わっていなければ、いつの時代も安心して観ていられる。ストーリーの中で起きることも大体予測できてしまいます。

でも、現実社会では、多くのひとが変化していきたいと思っているはず。だって、社会(周囲)がこれだけ大きく変化してきているのだから。

周囲が変化している中で、過去にうまくいっていたキャラクターにとどまっていることはかなり危険です。

サザエさんの一家だって、放送開始当初は日本の一般的な家庭として描かれていたはずだと思いますが、今はサザエさんのような家庭を探すことのほうが難しい。

キャラクターをつくり、そこにとどまりつづけるというのは、そのようなズレを必ず生んでしまうのです。

ーーー

らしさに縛られず、いつかやってみたいと思っていたことにも、積極的に挑戦してみることのほうが重要だと僕は思います。

たとえば、昨日までものすごく親切に愛想よく振る舞っていた人間が、突然無言でその場に佇んでみる。

それが自分らしくなくたっていいじゃないですか。自分で作り上げた自分らしさに縛られて、本当にやりたいことがやれないなんて、おかしな話です。

学校や会社では、キャラクターが固定化している人間が強く求められて、そう振る舞うことで生きやすいことは間違いないのですが、それはこの時代において、自分の首を締めることになりかねない。

そこから逸脱したってかまわない。むしろ、各人の変化をみんなで歓迎していくこと。それをこのサロン内では大切にしていきたいとなあと思っています。

関連記事:らしさが出てきたらぶっ壊せ!あなたが下す「判断の連続」を好きになってもらおう。