書籍や著名人の講演会などを通じて、優れた発信者から優れた一手を学んでしまうと、

どうしても僕らはそれに感動し、それをそのまま実行しようとしてしまいがち。

例えば最近だと、Wasei Salonのオンラインイベントで『こころの対話 25のルール』という本の読書会を開催しました。
https://wasei.salon/events/e8b1ac30d1e3
これは本当に素晴らしい本で、この本から学べることは山ほどあります。

そして、こういった素晴らしい本というのは往々にして、メッセージや著者の伝えたいことが驚くほどすんなりと理解できるように書かれている。

この本であれば、対話における「聞くことの重要性」が一貫して語られていました。

自分から話すのではなく、まずは自分から聞くことによって初めて本当の対話が成り立つのだと。

ーーー

でも、こうやってありがたい真理を授かってしまうと、今度は「よし、聞くことが大事なのか!」と奮い立ち、対話の場面において何でもかんでも相手から聞こうとしてしまいます。

でも時には、ただ黙って隣にいることや、ただ相手を抱きしめることが大切な場面だって必ず存在します。

そうすると、「相手の話を聞く」の上位に「目の前の相手にしっかりと興味を持つことが大切である」というような、ひとつ上のメタメッセージが存在することに気がつく。

今度はそれに従い、「よし!目の前の相手に興味を持ち、相手の本当の欲求(目的)を察知して働きかけよう!」と思い立つわけなのですが、やっぱりそれだけでは説明できない場面に遭遇する。

つまり、またひとつうえのメタ視点がやってくるのです。

このメタの連鎖には、決して終わりがありません。

つまり、どれだけ優れた一手(考え方)であっても、忠実に実行しようとした瞬間に、「手段をなぞる」ことにつながってしまうわけです。

ーーー

では一体、僕らはどうすればいいのでしょうか。

この点、先人たちの声にしっかりと耳を傾けたうえで、考えて学び、考えて学び、それらを一生涯繰り返すことは間違いなく大切なことだと思います。

書籍を通じて学んだり訓練したりしなくてもいいわけでは決してない。

ただし、しっかりと学び続けたうえで、実践(実戦)では潔くそれらをすべて忘れてしまうことです。

そして、無心に遊ぶ。

これらを同時に行うことが、とっても重要になってくるのだと思います。

ーーー

どれだけ優れた最強の一手であっても、最初からそれを狙って実行しようと決めて臨んだ瞬間に、最弱の一手となってしまう。

だからこそ、自分からどんな一手が出てくるのかを素直に待つのです。

自分の心と身体は、もうすでにその答えを知っているはずですから。

そのためには、必死に学んできたことを一旦全部を忘れる必要がある。

その上で、無心に遊ぶ。

一見すると、矛盾するような話に聞こえるかもしれないですが、最近僕が確信を持って言えることのひとつです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。