先日、配信されていた長田さんたちの新しいPodcast番組「コミュニティで生きるわたしたち」を聴いていたら、とても大事なことが語られていました。


それは「誘うのは勇気がいることだから、むしろ場を自ら開いてしまう」という逆転の発想のお話。

これは、本当にとっても大事な観点だなあと思います。

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Wasei Salonの中でも、頻繁に話題にあがるのは「他人を誘うことには勇気がいる」という話。

多くの人が、オンライン・オフライン問わず、自分から誘うということに大きな壁を感じているなあと思います。

「自分から進んで誘えたら、一体どれだけ人生が豊かになるだろう」と思いつつも、その一歩がなかなか踏み出せない。

その理由は「断られるのが怖い、相手から嫌われるかもしれない、何より自分が傷つくのが怖い」など。こういった不安が、自分から積極的に誘うことを思いとどまらせてしまうわけですよね。

この不安に対して、頻繁に耳にする助言として「そんなのは幻想だ、もっと積極的になれ」というもので、確かにこのアドバイスが効果的な場合も多いとは思います。

実際に、この言葉で人生が変わる人もいるはず。しかし一方で、すべての人にこの方法が通用するわけではない。

そのような「図々しさ」には、ある程度の先天的な才能も関係してくると思います。人には向き不向きがありますし、誰もが簡単に今すぐ積極的に変われるわけじゃない。

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誘うことに苦手意識があるひとは、むしろそれを逆手にとって、まずは自ら場を開いてしまうというのは、これは本当に画期的なアプローチだよなと思います。

「ここで待っているから、いつでも来てくださいね」という場をつくりだし、そこでちゃんといつも変わらずに、淡々と待ち続けていること。

雨の日も風の日も、ちゃんと開いている。無断で休んだりはしない。その小さな約束を守る姿勢が、また信頼にもつながっていく。

もう10年以上、この話をずっと事あるごとに紹介してきたので、もう聞き飽きたよ!というひとも多いとは思うのですが、やっぱり「大坊珈琲」の最初のチラシは、そういう意味で本当に素晴らしい。


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ただ、ここでさらに、自己の場を開くこと自体に抵抗感があるというひともいると思うのです。

自分なんかがおこがましいとか、どうせ人が集まるわけがないとか、また新たな不安が襲ってくる。

そういう方々には、すでに開かれている場の中に、自分なりの小さな場を開くことをおすすめしたいんですよね。

例えば、Wasei Salonの中で前沢さんが定期開催してくれている「前部屋」というオンライン上の雑談会の取り組みは、まさにそのお手本のような事例だなと思います。

前沢さんは、Wasei Salonという既存のプラットフォーム上に、誰もが自由に参加できる新しい対話の場を設けてくれたわけですよね。それがすでに80回以上も続いているすごさです。

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ほかにも、ローカルなまちづくりの一環として、ポップアップ的に使える空間や、持ち回りで店長やマスターを務めるスナック的な施設なども各地域に、本当に増えています。

そのような場所に、まずはお客さんとして参加し、場を盛り上げる側として参加する。そしていつかは自分も場を開く側にも回ってみる。そうやって地域の中でも、小さな一歩から始めるのもとても良いと思います。

このように、マトリョーシカみたいな形でドンドンと内側に入り込んでいけば、オフライン・オンライン問わず、必ず誰にでもチャンスはあって「場を開く」を始められないひとなんて、原理的にはこの世には存在しないはずです。

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で、このような「場を開くことの意味」みたいなことを考えていると、いつも思い出すのは内田樹さんが、ご自身の合気道の道場を始めた若い頃のお話なんですよね。

様々な場所で書かれていて、僕ももう完全に覚えてしまったような話でもあるので、インタビュー記事をもとに、僕なりにその概要を書き記してみると、

内田さんが35歳ぐらいのときに、週に一度、大学の仕事を終えた後、学校の体育館を借りて、道場を開き、稽古を行っていたそうです。

最初は同門の仲間たちも励ましに来てくれたそうなんですが、徐々に人も減っていき、最終的には地元で入門した数名しか来なくなってしまったそう。

さらに、ある台風の日は、誰も来ないだろうと思いながらも、内田さんは雨の中バイクで道場に向い、体育館を開けて、一人で18枚の畳を敷き、誰も来ない中で、小一時間ほど待ち続けてたらしいのです。

そのときに内田さんは「自分は一体何をやっているんだろう?」と強く疑問に思い始めたそうなんですよね。

しかし、そんな中、一人の中学生がひょっこりと顔を覗かせた。「先生、来てたんだ」という言葉とともに。そして、内田さんは彼とその後、二人きりで一時間ほど稽古をしたらしいのです。

で、このとき、内田さんの中で何かが「はじけた」のだと。教えるということの意味が、少し分かった気がしたと内田さんは語ります。

それまでは、教える側と教わる側の「等価交換」のようなものだと思っていた教育が、実は「おせっかい」なのだと気づいた、というのです。

このあたりの話は本当におもしろいので、もっと詳しく知りたい方は、ぜひ以下のインタビュー記事を読んでみてください。


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僕はなぜかこのお話が大好きで、本当にそうだなあと、読むたびに毎回思うんですよね。

で、僕はこの話を受けて強く思ったのは「場を開く」ということは、完全に「おせっかい」なんですよね、本当に。

僕自身も似たような年齢で、Wasei Salonというオンラインコミュニティを日々運営している中で本当に強く思います。

たとえどれだけ価値あることを提供してみても、基本的には「おせっかい」にしかなり得ないんだと。

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でも、そうすることで僕は、ある意味みなさんに対して先に「贈与」として何かを提供させてもらっているんだとも思うんですよね。

もちろん、毎月のサブスクの対価は一定数いただいているけれど「これだけのことはやります」という明確な反対給付義務を提示し、その行動に見合った対価をいただいているというよりも、場の運営にまつわる最低限の経費ぐらいの感覚であって、参加しているみなさんも、僕が生み出すコンテンツに対して対価を支払っている感覚はないかと思います。

もちろん、ブログやVoicy自体も無料で配信しているから、これが反対給付義務にもなり得ない。

つまり、何か明確なニーズがあったり、特定の何かが欲しくてここに来ているわけじゃない。

ただ、なんとなく毎日開かれている場に集まって、そのうちに何か受け取ってしまった、というのが実情だと思います。もちろん、僕もみなさんから、金銭以上の多くを日々いただいている。

そうやって、受け取るつもりなんかないのに「あの人から自然と受け取ってしまった」という関係性をつくることが、場を運営することの意味なんだろうなあと。

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これがもし、最初から等価交換が成立していれば、僕らはその場で、すべての関係性を断ち切って、すべては自分が「等価交換によって、それ相応の代価を支払って、手に入れた自己所有のもの」として、私の経済的利益のために、それを生産性高く合理的に用いようとするはずなんです。

でも、この場においては、きっとそうじゃない。

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それは、私が不意に受け取ってしまった贈り物であり、気付いた時点においては、もう後戻りはできないわけですよね。

また、それはいつだって事後的に気づく贈与だから、それを恩送りしたいと思う場合も多いはずで、次にバトンをまわしていこうと思うはずなんです。

このような構造というのは、いつだって相手の「おせっかい」によって成り立つわけですよね。

繰り返しますが、これは等価交換ではないんです。相手からの一方的な贈与であり、受け取る義務も、最初からまった一切く存在しないもの。

そう、おせっかいというのは、受け取らない自由もあることもまた、ものすごく重要な点だと思います。つまり、相手から勝手に与えられてしまったものだから、そこには誤配なんかも起こり得る。

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逆にいうと、私が何かを提供しようとするときに、受け手のニーズから考えるからいけないんだと思うんですよね。

そうすれば必ず、それは等価交換を求めてしまう。だって自分はニーズに合わせて作っているんだから。お金に限らずとも、相手からの何かしらの反応なりを必ず求めてしまう。

そうじゃなくて、私は何を提供したいと思うのか、その淡々と行える「おせっかい」から始めてみるのはいかがですか、と。

儲かるならやる、ではなく、儲かるかどうかもわからないけれど、今この世の中には明らかに存在せず、しかも自分の考えでは、このような場が、世界においては必須だと思うから、自分がやる、というような。

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そして、ひとが来る・来ない関係なく「おせっかい」として、場を開き続ける。

基本的にはおせっかいだから、返礼義務なんかも求めない。自分がやりたくてやっているんだから。働きかけるというよりも、変わらずに開き続けているという状態を保つことに尽力する。

もちろん、おせっかいで始めたことだから、それは別にいつ辞めたっていい。それが生きるために必須な仕事になっているわけでもないはずですからね。それでも、毎回淡々と場を開け続ける。

また、自分から働きかけるだけではなく、そこに集まってくれる他のひとたちの「なりふり」も丁寧に観察し、その声にならない声にも、ちゃんと耳を澄ませること。

そうやって、全員の「おせっかい」によって、見返りを求めない慈悲やギブの精神によって「場」が健全に機能し循環していれば、共同体というのは、ちゃんとまわり続けるんだろうなあと思っています。

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ということでいろんな角度から語ってしまいましたが、今日の最終的な結論としては、人を積極的に誘ったりすることがあまり得意じゃない方々は、ぜひ自分から「いつでもご自由にどうぞ」という「場」を開いてみてください。

もちろん、Wasei Salonというすでに開かれている場を、その足がかりというか踏み台にしていただいても一向に構いません。この場をそのように使ってもらえるのは、本当に大歓迎です。

ぜひ今日のこの話と合わせて、長田さんたちの配信も直接聴いてみてください。本当に素晴らしい対話だなあと思いながら、僕は聴いてしまいました。


いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。