年末の大掃除の時期なので、久しぶりに断捨離ネタで、ブログを書いてみようと思います。
最近はあまり断捨離ネタは書いてきませんでしたが、もともと断捨離やミニマリズムはとても大好きなテーマのひとつです。
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まずは、具体的に僕が何かものを買うときに強く意識している「7カ条」のご紹介から。
物を減らすときには、この反対側から発想して残すものを選んでいきます。
具体的には「もし今、この物を自分自身が所有しておらず、改めてこの条件に照らし合わせた場合、購入するかどうか」を検討しています。
もし、そのときに答えが「NO」であれば、素直に手放していく。
このときに、サンクコストは一切考えない。むしろ所有し続けることのほうがコストがかかると考えたほうが良いと思います。
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それでも、何かを処分するかどうか悩んだときは、こんまりさんの「ときめく」という考え方も活用させてもらいます。
ただ「ときめくか否か?」だと自分には少し抽象度が高すぎて、しっくりこない場面も多いです。
とはいえ、男性的で合理的な「毎日手入れしたくなるか?」みたいな感覚もなんだかしっくりこない。なので僕は、洋服の場合だったら「丁寧に畳みたくなるか」を基準にしています。
物であれば同様に、それに触れているときに少しでも「アガるか否か」を、常に意識しています。それは以前、以下のブログにも書いたとおり。
参照:アガるものだけに囲まれろ。
これらの具体的な行動基準を実践し続けてきた結果、今はスーツケースひとつとバックパックひとつまで持ち物を減らし、特定の家を持たない「無拠点生活」を行っていて、もう3年以上経過しており、個人的には非常に快適に暮らしています。
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ただし、今日のお話はここからが本題なのですが、「断捨離」という発想はもともとかなり危うい発想だと思ったほうがいい。
もちろん「ミニマリズム」もそうです。
諸手を挙げて、無邪気に採用していい思想では決してない。
これはもう10年以上、本気で断捨離という概念と向き合ってきた僕が何度も何度もそのせいで失敗してきた経験を持ち合わせているからこそ、強く実感しているところでもあります。
それは断捨離が失敗し、リバウンドしてしまうのではなく、断捨離が成功しすぎるからです。
マルクス主義やヴィーガンぐらい、取り扱い注意の危険思想のひとつだと思っています。
自らが、それに心酔している時にはなかなか気づけませんが、非常に「執着」しやすい思想であって、執着すると一気にまわりが見えなくなり、先鋭化してしまうようにできている。
それがこの「断捨離」や「ミニマリズム」という魔物の正体でもあります。
その切れ味が、あまりにも凄まじいがゆえに、起きてしまう危うさなのだと言い換えるととわかりやすいでしょうか。
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たとえば、上記で説明した7カ条の考え方も、これを所有物にとどまらず、人間関係や自らの経験や体験なんかに当てはめてしまったらどうでしょう。
さらには、その考え方を、他者にも強要し始めたら…?
一気にヤバいやつの完成ですよね。
周囲からウザがられて、それまでに仲の良かった友人たちもなくしてしまうのは必定です。
だからこそ、「断捨離」という思想には、常に「取り扱い注意」の表記のタグがついていると思ったほうがいい。
その発想に安住しない、盲信しない、執着しない。
安住した瞬間に、一気にその魔物に飲み込まれて、ダークサイドに落ちてしまう特性を持ち合わせているからです。
ものすごくよく切れる刃物だと理解したうえで、自己の所有物にときどき用いる程度に留めておきたい。
「これはよく切れる便利な刃物だから」と言って、それを毎日カバンに入れて持ち歩くひとなんて誰一人いないですよね。
むしろ、よく切れる刃物だからこそ使う時だけ使って、あとはなるべく危険性の少ないところに保管し封印しておく。その封印の姿勢のほうが、きっと重要になるはずです。
この使用するタイミングと封印するタイミング、その時間と空間を見分けられるかどうかが非常に重要な要素になってくる。
「暴力」と「武力」の違いについての話にも、非常によく似ている話です。
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だからこそ、この点においても、やっぱり「常に問い続ける姿勢」が非常に大事になってくる。
この点、だいぶ前にはなりますが、断捨離の提唱者であり火付け役のやましたひでこさんの『心を洗う断捨離と空海 』という本を読んだことがあります。
この本は、いま目の前にものが溢れかえっていて、早急に断捨離をしたいひとには決してオススメできるような本ではありませんが、自らの断捨離に完成はなく、常にそれを疑いつつも、アップデートし続けたいと思っている人には、非常にオススメの本です。
僕がこの本を読んでいて、辿り着いた答えのひとつは、断捨離においていちばん重要なことは、「これは『今』の私にとって『要・適・快』の存在だろうか?」と常に問い続ける姿勢なのだと、改めて理解できました。
つまり、一度断捨離を行ったら、それで終わりなのではなく、常に刻々と変化し続ける自己、その状況の中で、この問いを常に持ち続けて、実践し続ける必要があるということです。
自分のまわりに存在するモノ・ヒト・コトが、数年前から一切変化していないということは「当時の自分」と「今の自分」が、全く変化していないことにもなるわけだから。
もしくは、本当は大きく変化しているはずの「今の自分」のほうを完全に無視してしまい、過去の自分の「要・適・快」に執着している状態でもあると言えるかと思います。
常に、「今」の自分にとってどうありたいのかを問い続けていきたい。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。
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声のブログ、Voicyも毎日更新しています。ぜひ合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。
2022/12/23 11:25