以下の前半部分は、今年の4月にサロン内限定公開で書いていた内容です。

この記事で書いた内容を前提に、今日はブログを書いてみたいと思います。

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先日、漫画『チ。』の最新刊(7巻)を読みました。

今回の最新刊で描かれていたのは、「先人たちのビジョンをどう継ぐのか?」というお話。

※なるべく「誰が言ったセリフなのか」など、細かいネタバレはしないように書きますが、ネタバレの可能性は十二分にあるので、6巻まで読んで、7巻はまだ未読の方は避けたほうが無難です。

特に7巻で印象に残ったシーンは「信念が大事だ」と主張する若者に対して「信念は呪いになる。人間の強さでもあり限界」と伝える年長者のシーン。

その言葉に対しさらに「でも信念がないと、人は迷ってしまう」という若者の切り返しに対して、「迷って。きっと迷いの中に倫理がある。」と年長者が答える場面は鳥肌ものでした。

これは本当にその通りだなあと感じます。

いまの世の中で、モラルや倫理のようなものがなくなってきていると感じさせられる理由は、この「迷い」が世界から存在しなくなってきているからではないでしょうか。

何度かサロン内のブログでも書いてきたとおり、「葛藤」によって引き裂かれる感覚というのは、どうしても現代では忌み嫌われてしまう感覚ではありますが、「倫理」はその中からしか立ち現れてはくれない。

そのことを漫画を通して、見事に表現してくれた魚豊さん(漫画家)の表現力は、本当に素晴らしいなあと感動してしまいました。

また、「先人たちが見ていたビジョンを次世代がどう継ぐのか?」という場面においても「計画」を継ぐのか、「想い」を継ぐのか、という対比によって表現されていたことも本当に素晴らしかった。

参照:コスプレがしたいのか、新たなスタイルを創り出したいのか。

厳密に言えば「計画を遂行している私」になりたがるのか、「自らの人生を多少犠牲にしてでも、その想いのバトンを繋ごうとするのか」の違いです。

大事なことは、先人たちが想像していた計画を粛々と遂行することではなく、先人たちの想い描いていた「世界観」を創造することなのだというメッセージだと、僕は解釈しました。

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さて、ここからが今日僕が改めて加筆していきたい部分です。

なぜ、突然今サロン内で限定公開したこの記事を掘り返してきたのかと言えば、最近すべての配信を観終えた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、まったく同じ主題を描いていたからです。

小栗旬さんが演じる北条義時も、時代の激流の中で右往左往させられて、この「迷いの中にある倫理」と対峙していた主人公のひとりでした。

序盤では、とにかく迷い続ける弱々しいキャラクターなのですが、そうやって時代や権力に翻弄される中で少しずつ成長し、鎌倉幕府の中で圧倒的な権力を獲得していく。

そして、最後は影の暗躍者として、ダークヒーローのように描かれ、粛々と業務(つまり暗殺)を遂行するようになるのです。

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で、中盤あたりで鎌倉時代の仏師・運慶に「悪い顔になったな」と言われてしまう。

ただ、一方で「まだ迷いもある」と言われて褒められもするのです。

しかし終盤、最後の最後の場面で、もはや救えないところまで来てしまっていると、とある形を通じて運慶からもさじを投げられます。

この表現が、本当に強く印象に残っているんですよね。

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さて、自己の中から「迷い」や「葛藤」が消えること、その現象を僕らは良いことだと信じて疑いません。

自分の後ろ髪を引っ張るものや束縛してくるもの、それらから全て解き放たれて、くびきを逃れることが真の「自由」だと思い込んでいる。

それは、様々な偉人の名言や人生訓、名作と呼ばれるフィクションやストーリーを通じて、それがあるべき姿だと信じ込まされているのだと思います。

でも、そんなふうに腹が決まっていること、自らの覚悟が固まりきってしまっている状態というのは、果たして本当に良いこと(だけ)なのでしょうか。

僕はそうだとは思いません。本当は「迷いの中に、倫理がある」と思っています。

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組織や企業の中で「信念」や「ビジョン」のようなものがなぜ求められ、それが定まると、なぜ一気に物事が進み、その遂行力が高まるのかと言えば、組織の中に存在している個々人の「迷い」や「葛藤」を完全に奪うからなのでしょう。

それが、国家単位になれば「全体主義」の完成です。

たしかに、そうすることで「理想」に向かって突き進み、他を圧倒し、驚くほどの成果や結果を出すことができるのかもしれない。

でも、そこでふるい落とされてしまう大切なものも、たくさんある。

ちなみに、『鎌倉殿の13人』の中では、そうやって腹が決まった人間からドンドン死んでいってしまうように描かれていました。

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現代は極限まで、そのような「迷い」や「葛藤」のようなものが削ぎ落とされてしまった世界なのかもしれないなあと思います。

現代においては、むしろこの削ぎ落とされてしまっているほう、その邪魔者扱いされる皮の方に「真の栄養価」のようなものが含まれていて、実は価値が出てきている時代なのかもしれないなあと。

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大事なことは、ひとりひとりが孤独になって、迷い続けること。

邪魔だと感じる皮の部分や葉の部分、根っこの部分を捨てない、無駄にしない。

もちろん、決してそれは孤立しろと言っているわけじゃありません。

自らが、自らの中にいるもうひとりの自己と対話し続けることが大事だと思うのです。

この自分の中にいるもうひとりの他者と対話をしなくなった瞬間の状態を、きっと世間一般的に「腹が決まった」と呼ぶのでしょうが、そんなもの何の価値もないと僕はここで言い切りたい。

その対話の渦中にいる間は、たしかにものすごく辛いかもしれないけれど、その絶え間のない対話、問い続ける過程の中にしか、倫理の灯火は灯ってくれないのだから。

迷いや葛藤の中に身を浸すことから、決して逃げてはいけない。

強いて言うならば、これこそが僕が「Wasei Salon」の中で提示したいひとつのビジョンであり、メッセージなのかもしれません。

もちろん、それを言い訳にして、いつまでも踏み出すことから逃げていてはいけないのも事実だと思います。

これも、矛盾するようで、決して矛盾しない話だと思っています。


今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。

『チ。』も『鎌倉殿の13人』本当に素晴らしい漫画でありドラマだと思うので、ぜひ気になる方は、この年末年始に触れてみていただきたい作品です。とってもオススメです。

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