僕は、この言葉がずっと苦手でした。
この「やらない善より、やる偽善」という言葉を見聞きするたびに、確かに論理的にはそうなんだろうけれど、どこか強い違和感を感じてずっとモヤモヤしてきたんですよね。
ただし、その理由みたいなものを、なかなかうまく言語化できずにもいた。
余計にそれが、自分の中での気持ち悪さを助長していたのだと思います。
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そんなとき、先日観た、シラスで配信されていた鼎談動画「アメリカはなぜトランプを欲望するのか?──米大統領選に見る民主主義の盲点と可能性」の中で、とても膝を打つお話が語られていました。
今日はそんなお話を少しだけご紹介しつつ、自分の考えも合わせて述べてみたいと思います。
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有料動画なので、あまり詳しいことは言えないですが、この「やらない善より、やる偽善」という言葉について、何が語られていたのかという部分だけご紹介すると、
確かに「やる偽善」は大切なのだけれども、偽善だらけになると、それはそれで困るよね、というふうに東浩紀さんが語られていました。
なぜなら、世の中に偽善が蔓延ることによって、トランプみたいな「正直な悪」を生み出すことにもつながるからだと。
そして、そうやってトランプのようなわかりやすい悪が社会の中に生まれてくるから、余計に偽善的なものも同時に増えてくる。
つまり、完全な負のスパイラルが、そこには完成をしてしまう。
これは本当にそのとおりですよね。まさに僕が実感していた違和感を、見事に言語化していただいた感覚です。
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この点、トランプという存在は「嘘つきな悪」じゃないんですよね。
もし彼が嘘つきな悪だったら、あれほど人々の支持を集めることはない。
トランプは「正直な悪」なんです。ここが非常に厄介な部分でもあり、トランプが再選してしまいそうな一番の要因とも言える。
そして、トランプを支持しているひとたちは、リベラルはみんな嘘をついているように見えてしまっている。つまり、ものすごく偽善的なんです。
でもなぜ、現職の大統領のバイデンを筆頭に、それでも嘘をつき続けるのかと言えば、それは「やらない善よりも、やる偽善」と似たような発想がそこにはあるからだと思います。
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たとえそれが偽善であったとしても、善を演じておけば、それで自分たちの立場が守られるから。そして、論理的に自分たちの正当性も主張できるから。
本来の大事なところは、善なのか悪なのか、よりも、その本心が偽りか真実かのほうだということです。
正直か、嘘つきかが真の論点なんでしょうね。
ものすごく単純化すれば、トランプ支持者はトランプの「正直さ」を支持している。バイデン支持者は、嘘つきだけれど、社会には「偽善」が大切だと思っているから支持しているんだと僕は思います。
だから、評価しているポイントがお互いに全く異なる。
正直と偽善の実行、この2つが天秤にかけられているとしたら、議論が平行線を辿るのも当然だなと思います。
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さらに、動画内で語られていて僕が強く膝を打ったのは、その発言のあとにしばらくしてコメント欄にいくつか視聴者から「それでも偽善は大切だ」という話が流れていて、そのときの東浩紀さんのアンサーです。
具体的には「偽善は大切であることは間違いない。偽善を最後まで貫いたら、それは『善』になる。」という視点です。つまり、行動の継続性が、その行動の本質を変え得るのだ、と。
これも非常に共感するところだなあと。そして、この視点がいま圧倒的に足りていないように思います。
ここでのポイントは最初の起点が偽善的な行動でも、それが真に社会や他人のためになるものとして貫かれるのであれば、最終的には善として認識され得るということなんです。
「死ぬまでやったれ、猿芝居」というように猿芝居≒偽善であっても、それを死ぬまでやるんだったら、偽善ではなく、もはやそれは圧倒的な善になるんですよね。
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しかし、今の社会の問題点というのは、あまりにもポリコレの論調が強すぎる結果として、適当に「嘘」をついてお茶を濁すことが、当たり前となってしまっている。
あくまで、自分の立場や自分の利益のために、みんな建前として偽善的であるだけであって、その偽善の割り切り感みたいなものが、すごい。
本人も本気でそれを実行して貫き通すというやる気も大してないわけです。
具体的には、とりあえず、SDGsのシールを貼っておけばいいだろうというような感じです。それは、世間に対して、自分たちに向けられるポリコレ的な批判を回避するための一定のアピールに過ぎないわけですよね。
でも、大切な部分なのでこれは何度も繰り返しますが、偽善がただの建前や利己的な動機に過ぎない場合、むしろそれは、社会の健全な発展を大きく阻害するものなんですよね。
だからこそ、「やらない善よりも、やる偽善」という考え方は間違っているんだと僕は思います。
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世間の人間に対して「これで文句は言えないですよね」っていうアピールが、今はあまりに強すぎるんだと思います。
そして、それをインテリやエリート層のひとたちがズルく賢く行うから、余計に反発を招く。そのような社会を舐め腐っている態度がトランプのような「正直な悪」を生み出す一番の温床となってしまっている。
そして、今の一番の厄介なところは、偽善的な言説は生成AIで一瞬で構築できてしまうことです。
だから余計にそのような言説を、何も考えていない人間ほど生成AIで適当に生成してしまって、それを建前として掲げて、自分の役割を果たしたと思ってしまうこと。
これを負のスパイラルと言わずしてなんと呼ぶのか。
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一方で、文学的な作品において、このような社会の側面に対する批判的な観点はいつも鋭いなあと思わされます。
たとえば、朝井リョウさんの『正欲』などはまさにそうでしたよね。
あれも、現代に蔓延る「偽善」に対する告発です。
だからあの作品は多くのひとの心を打ち、映画化までなされたわけですよね。
あの物語の中で正直なのは弁護士や警察のほうではなくて、あの小説の主人公たちのほう。
でも、もしあの小説のような偽善に対する告発を、個人がインターネット上で自らの意見として書いてしまったらきっと大炎上してしまうはずです。
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他にも、少年漫画などでは頭が悪く、ときに粗悪な行動をするのだけれど、正直な人間が主人公になりがちです。
具体的には、桜木花道や浦飯幽助みたいな人間に、僕らは惹かれるわけですよね。
一方で、冒頭の場面ではものすごく善性に溢れた人間が、実は最悪な悪役だったというオチも、もはや鉄板です。
じゃあ、なぜ僕らはそれでも現実社会では偽善的に振る舞ってしまうのか。
それは、たぶん単純に恐れているからなんでしょうね。
インターネットに古くから精通していて、炎上の勘所を十分に押さえていると誇らしげに語るひとたちも、結局のところ、何が炎上するのかをわかるようになったというその本質は、ネットにおける偽善的な振る舞い方、その嘘のつき方が上手くなったというだけであって、別に何かを誇れるスキルではないはずです。
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だから、今日の僕の提案は、もっと正直であろうよ、ってことなんです。
正直であれる場所のほうが、いま本当に必要な場でもあるということなんだと思う。
それがWasei Salonであるといいなあと思います。サロン内のクローズドな空間だからできること。
僕は周囲の人間から批判されたり、時に悪口を言われたりしてもまったく構わないから、正直でありたいなと思っている。常にサロンの中だけでは、本音ベースで語っていたい。
決して偽善的な振る舞いには逃げたくないなあと。
偽善を建前にするひとからすると、僕の本音はときにものすごく露悪的に見えると思うのだけれども、でもそう思われたくてあえてそうしているフシさえあります。
ちゃんと問題提起をしたいから。
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今の社会に復活するべきは、やっぱり「人間への信頼」なんだと思います。
人間への信頼がないから、偽善に溢れる世の中になる。
そして、そんな嘘に辟易して、「市場原理に任せよう」という話にもなってしまう。
僕らがバイデンに対して興味を持てないのは、あまりに振る舞いが偽善的すぎるからです。
日々アメリカが語っていることと、いま中東でやっていることが全然違う。にも関わらず、信頼しろといわれてみたところで土台無理な話です。
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最後にまとめると、「やらない善より、やる偽善」それよりも、もっと大事なことはいついかなる時においても、正直であることだと思います。
そして、やる善が最上級であることは間違いないですが、やる偽善を実行するのなら「死ぬまでやったれ、猿芝居」と、その偽善をやり抜く気概を持つことです。
今のありとあらゆるコミュニティ文化や推し活文化も、結局のところこの「正直さ」を追求しているところに人がついてきているなあと思います。その最大級としてのコミュニティが、きっとトランプのムーブメント。
何が正しいのかよりも、何が本心であって、何が一体嘘ではないのか、それを語れる場所が、いま人々から強く求められているように思います。
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トランプのような露悪的な態度なんて話にならないと、何も考える前から否定しているひとは、きっと偽善に染まりきってしまっていると思うので、ぜひもう一度問い直して欲しい。
今、僕らに真に求められているのは、立場の如何に関わらず、誠実であろうとするその姿勢なのだと思います。
本音で語り合える場を、ひとりひとりの聞く姿勢を持ち寄って作り出し、そこで建設的な議論を丁寧に積み重ねていくことが「正直な悪」に惑わされない社会を作るための第一歩となっていくはずです。
そのためにこそ、相手の主張に対して真摯に耳を傾け、理解しようとする寛容さを常に持ち続けたいところですよね。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/03/25 20:52