他人の話を聞きながら、なんだか無性にイライラしてしまうとき、

ただ黙って聞いていることができなくなって、何か一言もの申したくなるとき、

もしくは、このひとにはもう近寄らないでおこうと決心してしまうとき…

誰もがそんな経験が一度はあると思います。

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そして、そのモヤモヤの理由が自分でも分からず、更にモヤモヤしてしまう。

「自分の心が狭いだけなのだろうか?相手の気持ちをわかってあげられていない自分が間違っているのだろうか?」と。

真面目で優しいひとほど、そんなふうに自分を責めてしまったことってあるのではないでしょうか。

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僕は、もしそんな感情が自分の中に溢れ出しできたら、必ずアドラー心理学に出てくる三角柱の話を思い出すようにしています。

「悪いあの人、かわいそうな私。そして、これからどうするか」というあの有名な話です。

そして、いま目の前にいる相手は、どのモードで話しているのかをつぶさに観察して、相手が話している間ずっと、自分の視界の中にテロップのように表示してみるのです。

そうすると、大抵の場合は「悪いあの人」か「かわいそうな私」モードで話していることが多いです。

そうすると、「あー、だからか!」と自分の中でモヤモヤの原因が理解できて、相手を受け入れられるようになります。

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そして、このことを受けて自分は、誰かと対話をするときに、いつも二つのことを意識するようにしています。

一つ目は、自分が話し手の立場として、被害者(かわいそうな私)や、傍観者(悪いあの人)にはならないようにすること。

常に当事者(これからどうするか)であるように努めています。

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そして、ふたつめは自分が聞き手の立場として、どうすれば目の前のひとと一緒に「これからどうするか」を考えることができるのかを、探ってみる。

そのためには、自分の中から正体不明のモヤモヤを消し去り、相手に懐疑心を抱かないようにしなければいけません。

そのためにはやはり、モヤモヤの正体を突き詰めて、相手の言動、その背景にある目的をちゃんと把握する必要がある。

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この点、「ひとの行動には必ず何かしらの目的が存在する」というのがアドラーの考え方です。

その究極の目的は「共同体の一員になること」です。

その目的のために、非行も含めてすべての行動は行われているのだ、と。

だとすれば、こちらが相手の目的を理解することさえできれば、自分の中に湧き上がる違和感も突き止められて、相手のことも自然と受け入れることができる。

逆に言えば、相手の言動の背後にある目的がわからないから、その言動から短絡的に判断してしまい、相手に嫌悪感が生まれ、その感情を相手にそのままぶつけ、対立や分断が生まれてしまう。

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「どうぞゆっくりと話してください。私はあなたの力になりたいのです。私にできることは何ですか?」

という態度で常に対話に臨むこと。

そのためには、自分が違和感を感じてしまう原因を知り、その対処法をしっかりと理解しておく必要があるなあと思い、今日のブログにも書いてみました。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。