先日、シラスで配信されていた三牧聖子さんと小泉悠さんの対談「 ロシア・アメリカの大統領選と日本の生き残り戦略」という動画を観ていたときに、

イーロン・マスクが掲げる超長期主義(遠い未来の人類の存続と繁栄を最重要視する思想)について話されている文脈の中で、とてもおもしろい指摘がされていました。

「超長期主義は、その視点をより遠くの未来に置くことで、目の前の問題をすべて些末なことにできてしまう。より大きな目標のためなら目の前の出来事を犠牲にすることも許されるという『いまいま主義』の裏返しでもある」と語られてあって、このお話が個人的にはとってもおもしろいなあと感じました。

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実際、視点を遠くに置けばおくほど、その時間軸は必然的に伸びていって、目の前のズレやブレはすべて誤差になったり、直線の中に収斂されていく。

株式のチャートを日足から週足に変えた瞬間に、チャートの浮き沈みがなだらかな一直線に変わっていくのまったく同じ話です。

それよりも、人類を火星移住を実現させるためには、もっと大事なことがあるというロジックをなるわけですよね。

つまり、今この時点において都合が悪いことを隠したくて、長期に視点を変えているというだけなのではないかというご指摘は、ものすごくハッとする話だし、とてもするどい指摘だなあと感じました。

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このあたりは、積極的にユーザー側からNOを突きつけないと、超長期主義を掲げられてしまうことによって、見捨てられる、切り捨てられる不満が、これからは山ほど出てくるんだと思います。

当然こういったロジックというのは、今に始まったことではなく、昔から「戦争」なんかがわかりやすく、このロジックを用いて語られていた。

「長期的な国家の繁栄」のためなら、今目の前の命を軽視しても構わないし、それでも戦おうとなるわけですよね。「未来の同胞たちのために」と。

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あと、現代の中で言えば、超長期主義まで行かなくとも、時間軸を伸ばす視点で言えばたとえば「長期投資」なんかもそうですよね。

積立NISAが推奨される理由なんかもまさに長期主義のひとつ。カブアンドのようなものや、トークンエコノミーなんかもそうです。

「これだけのお金がこれからの将来に流れ込む予定です、だからいまから買っておくとお得ですよ、目の前の下落は誤差です」と暗に煽ることが可能となり、長期主義に立つことによって全てが解決できるかのように肯定される。

これも、「いまいま主義」の隠れ蓑としての、超長期主義の典型的なハックです。

みんなが「長期・分散・積立」の原理を理解した時代だからこそ許される、というか通用するようなハック術がまさにここに存在しているなあと思います。

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また、この話の文脈に関連して、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスがビジネス的に大成功をおさめた理由として、哲学者アリストテレスを起源とする「ファースト・プリンシプルズ(First Principles)」(第一原理主義)があるというのは、最近よく語られるようになりました。

具体的には、物事の原理原則、その第1原理に立ち帰って、そこから今一番あるべき姿に落とし込む、まさに「選択と集中」の話です。

イーロン・マスクがつくるロケットなんかも、従来的な作り方にこだわらず、第一原理に立ち戻って作られている、だからコストも下げられるし、コレまでにはない成功をおさめることができるのだと。

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Twitter買収なんかもそうですよね。

これまでのTwitterがどんな会社であろうと関係なく、Xが本来あるべき姿、その第一原理から逆算されて、だからこそ、社員を何千人も一気に解雇できたわけです。

最初は大きなゴタゴタもありましたが、このTwitter買収によって、イーロン・マスクは、アメリカ大統領選でトランプを大勝利に導き、大きな賭けにも勝ち、アメリカだけではなく、世界的そして歴史的な経済的勝者になったわけです。

そうやって、第一原理に立ち返ってすべてをリセットし、本来のあるべき姿から事業を行えば、今の問題点はすべて改善される。

その時に保守的な勢力から反論されたとしても、「超長期主義」を持ち出してしまえば反論されることもなくなり、都合よく「いまいま主義」に還元することができてしまう。

今この地球上に生きている人間だけでなく、将来の人類までを巻き込む理論にすり替えることができるわけですから。普遍的な対象を抱きたがる、リベラルを黙らせることができてしまう。

そうすることで、全人類をひとつにまとめ上げてしまうこともできる見事にハックすることができる。この論理には、原理的には対抗できない。

これは本当に恐ろしいハックを思いつくものだなあと思います。

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また、近年の特殊性として、AIと超長期主義も、めちゃくちゃ相性がいいわけです。

自らの固有性のある「記憶」を持たないAIが、あるべき姿から合理的な決断を下すのは当然のこと。

でも、人間の場合はそうじゃない。過去に執着したり、懐かしさに固執したりするのが人間です。

この点、懐かしさとの向き合い方の話も最近よく話題になりますが、人間は懐かしさには逆らえない。それは人間が本質的に「記憶」を持つ生き物だからです。

もちろん、AIだって「記憶」を持っているフリはするでしょう。でもそれは『葬送のフリーレン』の魔族なんかと一緒で、人間がどうやらそれを大事にしているらしいと、理解しているだけであって、彼らに記憶があるわけではない。

そして、これからはそんな懐かしさが思いっきり狙われる。不都合が生じている部分は「記憶があるからだめなんだ、記憶を消せ」ってなっていくことも時間の問題だと思います。

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でも、当然なのですが、現代の僕らが問われているのは「本当にそれでいいのか」ということですよね。

つまり、それまでのルーツとシーンが、すべてないことにされてしまう危うさです。

ちなみに、このルーツとシーンというのは、最近オーディオブック版がでていた『ファスト教養』という書籍の中で、著者の音楽ライター・レジーさんが音楽をレビューするときに重視している点だと書かれていて、非常にわかりやすい話だなと思ったので、そこからお借りしている言葉です。

僕ら人間は「人間」であるがゆえに、必ずそれぞれのルーツとシーンを持っている。言い換えると、それぞれに歴史(ルーツ)を持ち、それぞれに今という1回性の時代(シーン)を生きている。

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で、もっと端的にわかりやすい言い方をすると、それは大抵の場合、完全にねじれてしまっているわけですよね。

川の流れのように流れ過ぎる時間の中で、選択と決断を繰り返し、否応なく今ここにいる。

その結果、ねじれにねじれて、厄介極まりない代物になっているわけです。

そのねじれを、長期的な視点、あるべき姿から眺められてしまったら、それらは全部リセットしたほうがいいという話になるのも当然のこと。

すべてが未来のあるべき一点の基準から考えたら、あるべき姿は提案できてしまうから。それは、強烈なリセット思考にもつながります。

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そして繰り返しますが、そうやってリセットしたほうが資本主義的には圧倒的に結果が出るし、都合が良く、簡単なんです。

だから、僕はリセット思考が間違っているなんて思っていない。

結果が出てしまうこと、資本主義の帰結として、全力でその中において結果を出そうとすると、それが一番いい選択肢になること自体が問題だと言っているんですよね。

すべては流せるなら、水に流したほうがいい。それは津波も地震も、今あるものが全部が壊れたほうが経済的には一番良いという話と一緒で、そのほうがGDPは間違いなく上がります。まさにスクラップアンドビルドの発想です。

つまり、イーロン・マスクとジェフ・ベゾスの考え方(ファーストプリンシプルズと超長期主)は、経済やビジネス的には100点満点の答えになってしまうことが問題だと思うんです。

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で、ここにおいて、「テセウスの船」みたいな話を持ち出すまでもなく「自己とは何か」が問題になるはず。

例えば、AIから「200年生きたいなら、その古びた身体は適切ではない、身体をリセットしてしまいましょう」と提案される。そういう話がもはやSFでもなんでもない。

同様に「あなたの現在の記憶も邪魔です。トラウマは消しちゃいましょう」となる。

その延長として「ものわかりの悪い旦那は今すぐ離婚したほうが良いし、子どもだって邪魔だったら児童養護施設に入れちゃいましょう」となる。

でも、そうなると、「自己とは何か」という問題になる。

それらのねじれや葛藤を受け入れていくのが、自己であり人生なはずであって、それが成熟という話もつながるはずなのに、です。

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つまり本来人間にとって大事なことは、ルーツとシーンの尊重なんです。

とはいえ、そこに執着しすぎないこと、保守的になりすぎないことも圧倒的に重要。それらを受け入れつつ、より良い未来のために再出発をすること。

超長期主義的な視点もしっかりと持ちつつ、相手の中にある記憶と、相手や自分のいま置かれている場所も同時に大切にする、その両義性。

この塩梅が、今は本当に強く求められているなあと感じます。

まさに 「もののあわれ」にもつながる話です。

既に失われた「懐かしさ」に執着することもせず、とはいえそれを思い出すと辛くなるからと完全に無かったことにするわけでもなく、「あの頃」にしっかりと感謝をしたうえで、ちゃんと次に行く。

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来年はこのあたりの感覚が、より一層強く問われそうだなあと感じます。

それゆえ、僕はこのあたりの塩梅を問い続けたい。

そうじゃないと全てがイーロン・マスク的な世界観、もしくは全ての過去や思い出に執着する、トラウマ的な世界観に飲み込まれてしまうから。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。