最近、これからは「クレーマー」気質の人が、意外にも世の中で活躍するようになるのかもしれないなあとよく思うようになりました。
というのも、クレーマーの人たちって世の中から嫌われる存在だけれども、彼らが嫌われるその理由は、その伝え方が完全にアウトなだけであって、その視点自体は意外と価値があったりする場合もあるかと思います。(もちろんそうじゃない場合もありますが。)
で、もしそんなクレーマーの人たちが、箇条書きでクレームを書いて、何ならキレ散らかした文章を書いて、それをあとはAIに対して「これをものすごく建設的に親切丁寧に書き変えてください。相手に喜ばれるように」といった指示をすることによって、AIに生成させたら、本当に素晴らしい提案になると思います。
下手に気を使ってぼやかすよりも、これでもかっていうぐらい切れ散らかして具体性のあるほうが、きっとデータ量が多くてAIもかなり良い文章を書くはずで。
ということで、「クレーマー2.0」みたいな概念が爆誕するかもしれないなあと、半分冗談交じりで、結構真剣に思っていたりもします。
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もちろんこれは、送信側が送信するときだけに限らず、受信者側が受け取るときにも似たようなことが起きるはずで、これからはもうダイレクトには受け取らない世の中も、目前に迫っていると思います。
クレームの部分がすべてマスキングされて、相手のもとに届くようになるはずです。
AIを噛ませて、自分にとって不快さが軽減された形、ものすごく建設的なアドバイスに変換された形で、サービス提供者側がユーザーの声を拾うということも今後はかなり増えていきそうですよね。
そうすると、当事者間でのハレーションは起きずに、問題自体は粛々と改善されて、提供者側もクレーマー側もWin-Winという構図になっていくような気もしています。
両者のメッセージが正しく受信されない、まさに伝言ゲームのような構造となるわけですが、目的自体が相手のことをケアすることであり、それでうまくいくのであれば、このような形式でも構わないわけですよね。(ドライだと思われるかもしれませんが)
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これはきっと、これまでも似たようなことはすでに行われていて、例えば、中華料理のお店などに置いてあるテーブルの上にある調味料で、運ばれてきた料理の味を最初から変えてしまう行為なんかもそう。
農家さんから野菜が家に届くまでの間に、土が落とされてビニールに包まれてきれいにパッケージされたものを、スーパーで買うなんかもそう。
牛肉や豚肉なんて、そういう意味で言えば、もっともっとデオドラントされている。
このように、そもそも僕らはそのまま受け取るなんてこと自体をあまりしていなくて、それが「言葉」や「言語」という状態においても、これからは起きてくるということなんでしょうね。
古き良きテレビの編集なんて、その最たるものだったのかもしれない。
また実際問題、すでに離婚調停など、民事系の裁判で弁護士がやっているような業務はこのような業務だと言えなくもないですよね。
どちらにせよ、お互いがイライラしてそのまま生の言葉をぶつけ合い、泥沼にハマることが一番望まれていないはずです。
もしかしたら、今後はそのまま受け取ること自体が、とてつもなく貴重な、というか親密な行為になるのかもしれません。
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ただ、その人たちは、AIなしでは外には出られなくなることは確実だと思いますよね。
AIを噛ませないと他者と円滑にコミュニケーションできないわけだから。これはなんだか、ハリネズミのジレンマみたいだなあと思いますし、なんというSF感だろうとも思う。
きっと、そうやって僕らがAIに頼れば頼るようになるほど、万が一ガジェットが止まってしまって、自分専用のAIも同時に止まってしまったときには、世の中が大戦争になるみたいな妄想もできてしまう。
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あとは皮肉交じりついでに、全然別文脈の話なんですが、AIが出てきたおかげで、これからは地方自治体の仕事がめちゃくちゃ受けやすくなるだろうなあと思います。
僕は、20代のころは自治体案件、具体的には地方創生関連のメディアの受託案件を結構な数受けていたのですが、結局それらを今はすべてやめてしまった理由も、役所文章的なものに嫌気がさしてしまったからです。
もちろんくれぐれも誤解しないでほしいのは、対応してくださった窓口の担当者のみなさんは本当に素晴らしく尊敬できる方ばかりでした。
ただ、彼らが属している組織や構造から要求されている文章の形式に、僕が最後まで馴染めなかったということ。
効果測定として提出する必要がある資料なんかもそうですし、メールでのやり取りなんかにおいてもそう。
いつも形式張ったやり取りをしていて、心を無にしてそのような文章を頑張って書いていた時期もありましたが、これからはいつもどおりの文章で書いても、なんなら箇条書きでタメ語で書いても、それをすべて自治体や行政に適した形にAIが勝手に変換してくれるようになる。
そうなると、もはや民間や一番カジュアルな渋谷界隈のベンチャーの仕事なんかと、何一つ変わらなくなってくるわけです。
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実際、今後はその延長線上で行政の補助金なども一気に取りやすくなっていくと思いますし、このあたりの行政まわりは、これから大げさではなく革命が起きてきそう。
提出しなければいけなかった資料の煩雑さ、そこにある一定の「知」の基準で足切りをして、彼ら行政側ははお茶を濁してきたわけだけれども、それもAIが出てくれば、中学校を出ていないような人間であっても、簡単に申請ができるようになる。
そのときには、その時なりの「足切り」基準が将来的には生まれてくるだろうけれど、行政側が今のAIの発達スピードに追いつけるとは到底思えない。
となってくれば、生活補助や在留外国人の煩雑な手続きを、AIを使ってサポートする仕事、それだけでもかなり大きな、そしてものすごく社会貢献としての支援事業になりそうですよね。
とても皮肉な話ですが、このような役所文章のようなバカバカしさ、それが加速主義的な発展をすることで、ここから大きな変革が起きることを眺めることができるようになるのかもしれません。
全員が、これまで一体何のためにやっていたんだろう…?と気付いたとき、どうなっていくのかは、結構興味深いものがあるなあと思います。
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で、話を元に戻して、このような話を踏まえて、最近AIが一般化してきている中でよく思うのは「ちゃんと読んでくれている」よりも「全然読めてないんだろうな」というコメントのほうが、より人間らしく感じてしまうようになってきたの、地味にすごい変化だなあと思います。
昔は読めていないことに対して、結構な苛立ちを感じていたのに、今では「全然読めてない、ちゃんと相手は人間だ…!」と思うようになりました。
「そんなこと一ミリも書いていない」と思うような勝手な解釈をしてしまう存在こそが人間であって、相手の世界に寄り添おうとする態度よりも、自分の「セカイ」からまったく出ようとしない態度のほうが、より一層人間らしいなと思ってしまうわけです。
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きっと、今後個人AIの行く末は、自分に最適化された情報、その程度問題を、こちら側で好きに設定できるようになるだけなんだろうなあと思います。
実際に、もうすでにそうやって受け取られてしまっているんだから。
そうなってくると、他者へのケアの意味合いなんかも一気に変わってくるのかもしれません。
具体的には、「もっと共感して、理解をして」が親密な間柄の関係性だったのに、
誰も彼もがAIを通して、親密なコミュニケーションをしてくるが手前、「もっと勝手な解釈をして!」って言い合う日も、これからはやってくるのかもしれないなあと。
本当にとてもおもしろい時代に入ってきているなあと思います。
今日はだいぶSFみたいな話になってしまいましたが、今ある技術があまねく世の中に広がるだけで、実際に起きうる話ばかりだとも思います。つまり、いつ起きてもおかしくない変化。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/06/28 20:08