村上春樹作品を読んでいると、ときどき、ものすごく本質的な「取材術」みたいなものと出会う瞬間があります。
もちろん、それはテクニック的なものではなく、もっと本質的な、取材対象者との向き合い方やそのときの根本的な姿勢みたいなものです。
最近も『TVピープル』という短編集の小説を読んでいたら、「誰かに話を聞いてそれを文章にする時にいちばん大事なことは、その話のトーンを再現することだ」という話が語られてありました。
唐突な場面で、唐突に語られる話なので、つい読み飛ばしそうになってしまいそうになるのですが、本当にここには大事なことが語られてあるなあと思いました。
以下で早速本書から少しだけ引用してみたいと思います。
誰かに話を聞いてそれを文章にする時にいちばん大事なことは、その話のトーンを再現することである。そのトーンさえつかめていれば、その話は本当の話になる。事実はいくぶん違っているかもしれないが、本当の話になる。事実の違いがその本当さを高めることさえある。逆に世の中には、事実は全部あっていても全然本当じゃない話もある。そういう話はだいたい退屈であり、ある場合には危険でもある。いずれにせよそういうのは匂いでわかる。
これは本当にそのとおりだなあと思います。
もちろん、これは村上春樹さんが、小説家の主人公の「僕」に言わせていることであり、実際のところ村上春樹さんご自身が、どう思っているのかは定かではないです。
ただ、ソレを差し引いて捉えてみたとしても、やはりこの「トーン」という比喩は本当に素晴らしい表現だなあと思います。
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で、最近、まさに同じく村上春樹さんの『アンダーグラウンド』読み進めています。
この本は、小説ではなく、村上春樹さんご自身が、地下鉄サリン事件の被害者や関係者に丁寧に取材し、そのインタビュー原稿がズラッと並んでいるような本になります。
今、半分ぐらいまで読み進めたのですが、これが本当に素晴らしい取材の数々なんですよね。
ちょうど最近、松本サリン事件から30年が経過したというニュースが報じられていますが、それはつまり、来年で地下鉄サリン事件から30年ということでもある。
30年も前の話にもかかわらず、なんだかものすごく身近に感じられるような書かれ方がされている。
もし、2024年の今、昔の新聞記事のインタビュー原稿を読んでも、きっとこんなふうには感じられないだろうなと思います。週刊誌の記事なんかは、間違いなくそう。
なんというか、ここに出てくる全員が、村上春樹作品の登場人物のように感じられる。
トーンが統一されているというか、見事に取材対象者の方の「時代を超えてでも、本当に語りたつぎたかった部分」が、しっかりと語られてあるなあと思います。
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過去に何度もご紹介してきた川上未映子さんとの対談本『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中でも、この『アンダーグラウンド』の取材の話題は語られていました。
以下は本書から、村上さんの発言を少しだけ引用してみたいと思います。
村上 例えば『アンダーグラウンド』でインタビューした時も、相手はプロの書き手ではない、普通の市民の方々ですから、インタビューした後、テープ起こしをしたものを、僕自身の中に一回くぐらせるんです。いや、逆に僕自身を相手の話の中にくぐらせると言った方が近いかな。とにかくそうすると、そこから出てきたものは、単に機械的に起こした原稿とは、明らかに違っているんです。でもその原稿を、インタビューした人に見せるでしょう? すると相手は「ええ、これは 喋った通りです」って言います。でも細かく見ていくと、ずいぶん違うんだ。
ちなみに、この「くぐらせる」作業が、牡蠣フライをつくるときに、牡蠣を油にくぐらせるみたいな感覚だ、という比喩でも語られていて、これも本当にわかったようで、わからない、でもわかるような、ちょうどいい塩梅の話なんですよね。
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また、この『アンダーグラウンド』よりも、10年前の作品『回転木馬のデッド・ヒート』の小説の中でも、とある短編小説の主人公がインタビュー原稿を書く仕事をしていて、そのなかでまた自己の仕事に対する信念のように語るセリフがでてきます。
こちらはこちらで、非常に見事にインタビューの本質ついているなあと思わされる話が語られていました。
以下で少しだけ引用してみたいと思います。
細かい試行錯誤をくりかえすうちに、僕はそこにひとつのコツらしきものを発見した。インタヴュアーはそのインタヴューする相手の中に人並みはずれて崇高な何か、鋭敏な何か、温かい何かをさぐりあてる努力をするべきなのだ。どんなに細かい点であってもかまわない。人間一人ひとりの中には必ずその人となりの中心をなす点があるはずなのだ。そしてそれを探りあてることに成功すれば、質問はおのずから出てくるものだし、したがっていきいきとした記事が書けるものなのだ。それがどれほど陳腐に響こうとも、いちばん重要なポイントは愛情と理解なのだ。
「人並みはずれて崇高な何か、鋭敏な何か、温かい何かをさぐりあてる」「いちばん重要なポイントは愛情と理解なのだ。」という部分が、絶妙ですよね。
まさにソレを見つけることがインタビュアーの仕事だと思うし、ひとの話を聞くのが上手な方は、これをみつけるのが、本当にお上手だなあといつも思います。
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そして、さきほどの「トーン」の話とも重なるのですが、村上春樹さんの人との向き合い方というは、なんというか、カメラワークのようなものが圧倒的に優れているんですよね。
もしこれが、普通のインタビュアーであれば、どうしても同じ距離から、同じ視点の話しか聞かない。というか、聞けない。
1時間のインタビューの時間があるとしたら、その間に対話の中におけるレンズを変えないし、被写体を撮影する自分の立ち位置も変えない。
でも、村上春樹さんの場合は、レンズも変えるし、自らの立ち位置も変えていく。変幻自在。
しかもそれが、単純にテーマや切り口という表面的な視点だけではなくて、もっと心のカメラワークみたいなものが、繊細なんですよね。
そして、それを読む側にとっても、ものすごくマクロな視点とミクロな視点がそれぞれ交互に訪れてくるというよりも、それらが渾然一体とになっている感じ。
そのひと本人というよりも、さらにその奥にある、ある一点をずっと見せられている感じで、視点が変わったという感じはしないのだけれども、ものすごく重層的な深みを感じさせてくれる。
たとえるなら、それぞれ複数の味、「甘味」、「塩味」、「酸味」、「苦味」、「うま味」を順番に味わう感じじゃなくて、ひとつが一度に口にはいって、ものすごくハーモニーが整っていて、食べた人が一言「おいしい」と思ってしまうような感じ。
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実際に、この『アンダーグラウンド』の中でも、とある被害者の方のお話が僕の中に非常に印象に残っています。
その方は若い女性で、かなり重症になり、言葉さえうまくお話できない中での取材のようでした。
村上春樹さんは、取材対象者の方と静かに向き合い、取材している中で「まるで冬の午後の、日溜まりの温かみの記憶みたい」だと語る、とある一点を見つけ出します。
この取材記事は、読んでいるだけで本当に勝手にスーッと涙がこぼれてくる。ぜひ気になる方は、直接読んでみて欲しい内容です。
どちらも、ものすごく真摯な態度で向き合っていたんだろうあと思わされて、言葉がうまく出てこない相手だからこそ、言葉以上のものをお互いがお互いに引き出し合っている感じがします。
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AIが全盛期のこれからは、もしかしたら小説家のようなひとが、実はインタビュアーに番向いているということになってくるのかもしれません。
言い換えると、ChatGPTなどではなく、くぐらせる対象が、そのひと自身であること。
「僕はただその人のボイスを、より他者と共鳴しやすいボイスに変えているだけです。そうすることによって、その人の伝えたいリアリティは、よりリアルになります。そういうのはいわば、小説家が日常的にやっている作業なんです。」とも語られているのですが、これは今のような時代だからこそ、とても大切な観点だなあと思います。
僕自身もまた、村上春樹さんのこのくぐらせ方や、このトーンのみつけ方が知りたくて、ひたすら村上春樹さんの作品を今むさぼるように読んでしまっているのかもしれないなあと思います。
AI時代においては、自己を(に)くぐらせるということを、何よりも大切にしていったほうがいいと思うから。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。