新学期、気持ちはウキウキワクワク、たくさん勉強するぞと大学院での新生活を楽しみにしているのに、リサーチクエスチョンとの戦いはいつも強烈。

いつだって、無自覚な思い込みや価値観をひけらかしてくる存在。

いつも好奇心から色んなものを探してきた。いや、好奇心から発露する何かに駆動されて生きていきたいと思い込ませていただけかもしれない。憧れに過ぎなかったのかもしれないと感じることがあった。

学部時代のライフスタイル移住研究、こらから取り組もうとしているロングステイ、どちらも純粋な好奇心からくる「人はなぜ移動するのか」に興味があるという説明をしていたし、自分でもそう思い込んでいた。しかし、根底に渦巻いているのは、いつだって2年前に自死をした身内の存在だった。

もし、彼が、ひょんなことから環境を変えられていたら、少しでも視点が変わる何かがあれば今も生きていたかもしれないという望みをかけてしまっている。だから、私はずっと観光学という専攻を続けたいと思ったのも、事実。(亡くなった当時より、月日を経るごとにその気持ちが強くなった)

原体験的なものを求められる社会が嫌だったし、そんなものねーよと思っていたのに、できてしまった。

だから、ずっと、これは私が考えたいのか、それとも考えさせられているのかとぐるぐるしている。

その問いは、好奇心か、責任か。好奇心>責任という像を自分の中に作り上げてしまっているのかもしれないということに書きながら気付いた。責任感からくる問いなんて、すごく縛られてしまっている気がする。だけど、もう、この気持ちを感じてしまったからには、とにかく納得いくまで、このリサーチクエスチョンに向き合うしかないんだろうなあ。だけど、まあ、これは今まで感じたことのない呪縛すぎて疲れるなあ。

一方で、人生は、そうせざるを得なかったことばかりで出来ているのかもしれない。