みなさん、ご存知のとおり、Wasei Salon内にはポイント機能があります。

これは、コミュニティ活動を通じて日々少しずつ勝手に溜まっていき、何かしらコメントやスタンプでは送れない気持ちを表現するために、日々メンバー同士で送り合い、主に感謝の気持ちを表明するために使われています。

そして、メンバーから多くの感謝を集めた人は自然とこのポイント数が増えていきます。

僕は、このポイント機能を利用して、みなさんが貯めたポイントと交換して、僕が心の底から尊敬しているイケウチさんのタオルや、もう5年以上通っている美容室らふるさんのカット利用券と自腹を切って交換していたりするわけです。


改めて、なぜこんなことをしているかと言えば、決して慈善事業というわけではなく、ここに参加しているみなさんには、間違いなくこれらの2つの商品やサービスを喜んでもらえると確信しているからなんです。

自分が長年触れてきて圧倒的にそのクオリティが高いことを、僕自身が骨身にしみて理解している。あとはもう、みなさんに直接触れてもらうだけ。

逆に言えば、その機会さえ自分が作り出すことができれば、それだけで相手はめちゃくちゃ喜んでもらえるだろうなあという確信があるわけですよね。

その触れてもらうきっかけを僕がつくりだすことができたらこれ以上ない喜びなんですよね。

誰かの素晴らしい製品やサービス、作品に触れてもらって、また他の誰かが喜んでいるという状況。そうやって喜びが巡る循環をつくること以上の喜びなんて、この世には存在しませんからね。

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で、この取り組みや自らの体験を通して、いまものすごく強く実感していることは、いわゆる「広告費」って、もう自分のために使うことができない時代に突入しているんだろうなあということです。

自分以外の「他者」のために、広告費は使って、初めて意味がある。そのほうがよっぽど効果があるなあと思っています。

これは反対側からの視点で眺めてみると、いかに自分のために身銭を切ってある種の「広告費」として使ってくれるひとがどれぐらいいるのかが事業の本質となりつつあるということでもある。

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これがたとえばもし、イケウチさんやらふるさんが社内の広告費の予算からサンプルやお試し体験を提供してくれた場合において、まったく同じような体験をできたとしてもメンバーさんにとって、その体験は180度異なると思うのです。

それだと、いわゆるサンプリングやインフルエンサーマーケティングと一緒で試供品を提供されるのとほとんど同じこと。

そのことで一定の認知はとれたとしても、そこには継続性や愛着はきっと生まれない。

つまり、交換であって贈与にはならない。贈与であることに、意味がある。僕がゴリ押ししていて、身銭を切っていることに意味があるわけです。

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他にもたとえば、BTSの成功なんかもまさにそうですよね。

あれを事務所の資金力によって世界中に広告をばらまいていても、きっと効果はほとんどなかったと思います。

「あー、大手の事務所がまた札束で殴りにかかってきているな」と思うだけ。一時期のPayPayのローラー作戦なんかと一緒。

僕らは別にあのようなPayPayの広がりを何か、ファンとしての喜びを感じるわけではないじゃないですか。どれだけ毎日使っていたとしても、ただ世の中が便利になっていくなー、そんなふうにインフラ事業としてしか見ないはずなんです。

ファンが自発的にやるから、意味がある。

BTSはそのような広告を打ちたくなるぐらいの圧倒的な作品のクオリティと、ファンサービスなどのホスピタリティを提供していたから、ファンのみんなが喜んで、自分たちの力で「広告」を打つ努力をしてくれたわけですよね。

つまり、「交換」による広告と、「第三者の贈与」による広告、全く同じ情報伝達がなされていても、その意味するところがまったく変わってくる。

受け取る人たちの感情というか内面の実感が全く別物になるとは、まさにそういうことです。

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これは「役に立つと意味がある」の話にもきっと通じる話で。

なぜなら、意味は他者と共有して初めて真の効果を発揮するからです。

逆に、役に立つは、役に立てばそれで終了で、ひとりでも完結する。でも意味は他者と共有しないと味気ないし、つまらない。

「イケウチさんのタオル、最高だよね!らふるさんのカット、マジで良いよね!」って話を必ずしたくなるはずで、それを僕といっしょにできることが大切で、僕もソレがしたくて、みなさんに触ってもらう機会を自腹で提供している側面は、間違いなく存在します。

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ゆえに、この「贈与」としての広告に、驚くほどの可能性がいま眠っているんだと思うのです。

そしてもちろん、最近ひっきりなしに語り続けているトークンの話もまさにここにある。

Wasei Salon内で起きているこポイント機能の循環、それをより一層非常になめらかにしてくれるものがトークンです。

Wasei Salon内で言えばトークンはポイントだし、得られるグッズや体験はNFTみたいなものですよね。

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実際、僕はいまWasei Salonの中の有志のメンバー対して、けんすうさんのFiNANCiEのトークンを200トークンずつ贈与する実験を行っています。

なぜなら、みなさんにも、けんすうさんのホルダー限定のコラムを読んで欲しいからです。

サロンに参加している有志であれば、本当に誰でも受け取れます。これは見方を変えれば、約1万円を僕がタダで配っているような状態。

でも、そこには既にWasei Salonに参加してくれていて価値観や文化を理解してくれているであろうという信頼関係が構築されているから、何の躊躇もなくタダで贈れている。

これって、僕からすると本当にありがたいことなんです。

ここはくれぐれも、読み間違えないでください、メンバーのみなさんにとってありがたいことではなく、渡している僕にとってありがたいことなんです。「意味がある」を共有できるのですから。

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もちろん、それをただ受け取ってすぐに売り、1万円弱の現金を手に入れるひとは出てくるかもしれない。

でも、それはそれだと思っています。これは糸井さんの「株式を100株ずつ配った」というあの話とまったく一緒です。

それよりも、受け取ってみてもらって自己変容を感じとってもらうことにこそ価値があって、実際にそのようなお声も既にいただいていています。これが本当に嬉しい。

一緒にかけがえのないものを気づき、発見しているなあと感じられる。

だから、言い方や視点を変えてみると、売ってしまったという経験でさえきっと、いつかそのひとにとってはきっと大きな財産となるはずで。

その希望や祈りみたいなことを込めていれば、相手の手に渡ったあとのことは本当に「あとはお好きにどうぞお使いください」と思うようになる。

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何事においても、僕との直接的なやり取りを通して、その経験の中から「自分が変わりました」と言ってもらえることが何よりも嬉しいことなんですよね。

これは、中村天風もよく主張していたことですが、事業や仕事が成功して、儲かった結果、自分の「環境」が変わりましたと報告されるよりも、「自分自身の内面」が変わりましたのほうが、圧倒的に嬉しいこと。

言い換えると、交流していく中で本人の中身が何も成長や成熟をしていなかったら、何の意味もない。

僕はみなさんに、一歩でも「成熟」に近づいて欲しいと、いつも願い続けています。

それは「外的な環境」がどれぐらい裕福な生活に変わったのかはまったく関係がありません。比例関係にさえない。

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で、最近は毎日書いているような気がしますが、そのような自己変容のためには、文字通り現金な話で逆説的なんですが「金銭的な重み付け」を利用するのも、非常に効果的なんだろうなあと感じています。

その重みや引力が、ひとつのトリガーとなって自己を疑うことができるようになるから。

実際、僕自身もNFTに触ったりFiNANCiEのトークンに触ったりすることでドンドンこのあたりの解像度や自己の価値観の盲点だった部分に気付かされています。

だからこんなにもトークンエコノミーにいま熱中しているし、本当に素晴らしい鏡みたいな存在だなあと思いながら触っています。自分の思い込みを、コレでもか!というほど、痛いぐらいに自覚させてくれますからね。

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最後にまとめると、僕はこうやってただただ贈与の循環を生み出して、他者に喜びを味わってもらいながらそえぞれが自己変容をしてもらいながら、真に成熟していけるような関係性をつくっていきたいだけなんですよね。

そのためのコンテンツ、商品、サービスは正直なんでもいい。僕がつくったものである必要はまったくない。

自分が本当に心から尊敬しているものは、既に世の中にはたくさん存在していますから。ちょっとメタ視点のようになってしまいますが、そのような文化づくり自体に興味があるというか、その構造自体をつくりだしていきたい。

これがスムーズに回り始めると、お互いに疑心暗鬼にならず、互いに信頼し合って次にバトンをまわそうと素直に思える世界が、きっとできあがるはずだと確信しているからです。

見る人が見ると単なるユートピア思想にしか見えないかもしれないけれど、でもいま実際にトークンエコノミーの片鱗に触れている僕みたいな人間からすると、十二分にありえる未来だなと実感しています。

それは、インターネットに触れたときにこれで買い物したり映画を観たりするひとが増えるんだろうなあと直感的に理解できたようにです。

僕からすると、ソレが実現する時に、自分がその場にいなくてもいい。むしろそうやってつながっていくのを外側から眺めていることが一番の喜びなんですよね。

まとまりのない話でしたが、そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。