学習における場面で、「視覚優位」と「聴覚優位」があるというお話は、このブログの中でも過去に何度もお伝えしてきました。

僕自身、小学校から大学まで、いわゆる一般的な教科書、つまり「文字の教育」を受けてきて、一応、何不自由なく過ごしてこれました。

でも、大学3年生ぐらいから使い始めたオーディオブックで、僕自身の世界観がガラッと大きく変化をしたんですよね。

なぜなら、実は自分が聴覚優位だったと気づいたから。

具体的には、文字で読むよりも、耳で聴くほうが圧倒的に学びやすかったんです。

それまでの人生の中で、視覚優位とか聴覚優位とか、まったく意識してこなかったけれど、自分自身がどちらかと言えば聴覚優位だったことに、そこで初めて気がつきました。

それからは、一気にオーディオブックのヘビーユーザーとなって、僕自身もうかれこれ15年近くオーディオブックを使い続けています。

そして、この過去15年間のあいだ、テクノロジーの日進月歩に本当に救われてきました。

オーディオブックを中心に、音声コンテンツがここまで普及していなければ、今の自分は間違いなく存在していなかっただろうなあと思います。

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さて、なぜ唐突にこのような話を始めたのかといえば、先日配信されていたシラスの「君たちはどう学ぶか──少子化・AI時代のユニバーサル教育(と政治参加)」という鼎談動画を観たから。

https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231030
鈴木寛×乙武洋匡×東浩紀 「君たちはどう学ぶか──少子化・AI時代のユニバーサル教育(と政治参加)」 @h_ototake @hazuma #ゲンロン231030 #ZEN大学 ゲンロン完全中継チャンネル | シラス
本編開始 00:07:31■【イベント概要】2025年4月に開学予定のZEN大学(仮称)(設置構想中)と株式会社ゲンロンが共同で運営する新公開講座、第3弾。今回は、元参議院議員の鈴木寛さん、作家の乙武洋匡さんをお迎えします。聞き手はゲンロンの東浩紀です。第3回のテーマは「ユニバーサル」。民主党政権下で文部科学副大臣を務め、ZEN大学ではチェアマンに就任する鈴木寛さんは、同大の目標を「学びたい人なら誰もが学べる環境をつくる」と語ります。N/S高の経験を引き継ぎ、オンラインならではの大学教育の実現を目指すZEN大学への期待を、鈴木さんの教育行政の経験とともに語っていただきます。他方の乙武洋匡さんは、「選択肢を増やしたい」という思いのもと多方面で活動を続けてきました。かつては小学校教員に就任し、最近でも一般社団法人xDiversityによる義足プロジェクト(OTOTAKE PROJECT)への参加など、インクルーシブ社会の実現に向けてますます活躍の場を広げています。そんな乙武さんに、ZEN大学の取り組みはどう見えるのでしょうか。そしてまた、この3人が集まるならば欠かせないのが政治の話。鈴木さんは参議院議員を2期12年にわたって務め、乙武さんも昨年東京選挙区で参議院選挙に挑みました。そんなお二人から、「熟議」や「参加民主主義」の可能性はあらためてどう見えているのか。日本の現状に照らしてお話を伺います。ZEN大学とゲンロンの共同開催だからこそできる、刺激的な討論にご期待ください。==ZEN大学は、すべての授業をインターネットを介して受けられる2025年4月開学予定の“日本発の本格的なオンライン大学”です。大学卒業資格取得に必要な学びをオンラインで完結することができます。特定の学問領域に偏ることなく幅広く、ネットを駆使して、全国、いつでも、どこでも、最先端の学びを提供します。また、企業や地域などと連携したプログラムやインターンシップなどの機会を豊富に創出し、これからの社会を生き抜く実践力を養います。※ZEN大学(仮称)は設置構想中のため、掲載している内容は今後変更の可能性があります。■君たちはどう学ぶか – ゲンロンカフェhttps://genron-cafe.jp/event/20231030/-※ 生放送された番組は、放送終了後から半年間、アーカイブ動画(録画)として番組を公開しています。放送終了後も、番組の単独購入は可能です。※ 番組の視聴期限は予告なく早まる場合があります。その際、番組料金の返金は行いませんので、予めご了承ください。ご案内中の期限によらず、アーカイブはお早めにご視聴ください。
shirasu.io

この中で、視覚優位と聴覚優位に関する内容で非常におもしろい話が語られていました。(登壇者は、鈴木寛さん、乙武洋匡さん、東浩紀さん です)

この点、聴覚優位の一番わかりやすい事例は「ディスレクシア」です。

これは学習障害のひとつのタイプとされていて、全体的な発達には遅れはないのに文字の読み書きに限定した困難があり、そのことによって学業不振が現れたり、二次的な学校不適応などが生じる疾患とされています。

有名なのは、俳優のトム・クルーズの事例で、トム・クルーズは台本を文字で読んでもまったく頭に入ってこないらしく、台本を一度人に読んでもらって「音」で覚えているそう。

乙武さんは、このトム・クルーズの例を話題に出しながら「セリフを覚えられたら、それで良いはずなのに、これまでは文字(台本)が読めなければ、その時点でドロップアウトさせられていた」と語っていましたが、これは、本当にそのとおりですよね。

それに対して、東浩紀さんは「過去200年ぐらいまでは、文字しか複製できなかったから、そのようなドロップ・アウトさせられてしまうのが現状だったのだ」とおっしゃっていました。

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つまり、音声というのは、これまで簡単には複製できなかったわけです。

トム・クルーズのように、1対1で読んでくれる相手がいるような関係性の中でしか、成立しなかった。

端的に言えば、非常にコストが高かったわけですよね。

一方で、もともとはそのように身体や口伝で伝わっていたことが、学習においては主流であって、それが突如、文字の複製技術の誕生(活版印刷の誕生)で、学習の伝達手段がすべて文字に置き換えられたのだ、と。

それが、いまデジタル技術のおかげで、従来の身体的な感覚としての学習を取り戻そうとしているタイミングなんだと東さんが語っていらっしゃって、この逆転の発想は本当に目からウロコでした。

視覚優位者のための教育が、現代は一般的だけれど、それは過去200年間程度のアナログの世界の出来事であって、デジタルなら音声の複製も非常に安価に簡単になります。

つまりディスレクシア自体も「障害」ではなく、ただの「個性」となり、人類のもともとの特性に戻りつつあるのだとも言えそうです。

たまたま過去200年程度の文字中心社会においては、それが「障害」と見做されていただけ、で。

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とはいえ、世の中のありとあらゆる試験が、文字により学び、文字によって回答し、文字だけで審査される視覚優位のひとのためにつくられている世界に僕らは圧倒的に遅れて生まれてきてしまった。

だからそれが世界のデフォルトだと信じて疑わない。ディスレクシアという言葉が障害や病名として存在もしてしまっているのがその証です。

でもそれは、現代はスマホを使いこなせる世代が有利だ、みたいな話に近くて。

スマホを使えない人(特に高齢者など)を僕らが障害だと思わないように。聴覚優位者にとっての最適な学習環境が、いま再び、そしてやっと、整いつつあるということです。

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そして、ここからが今日の僕の一番の主張なのですが、そんな彼らにとって生きやすい世の中に変わると、世界自体が大きく変わることにもつながるはずなんです。

これは、バリアフリーの論理と、まったく一緒で。

車椅子ユーザーの方々が、鉄道会社に一生懸命に抗議をしてくれたおかげで、僕らは当たり前のように、駅のエレベーターを享受できるようになりました。

もともとは彼らが勝ち取ってくれた戦利品を、スーツケースなど重たい荷物を持ち運んでいるときは無料でそエレベーターを利用させてもらっているわけですよね。

音声コンテンツの環境が、世の中に広がることは、それに近い状態を生み出してくれる。

ディスレクシアは確かに圧倒的に社会の中に少ないかもしれないですが、ここは、正規分布(ベルカーブ曲線)のようにグラデーションだから。

僕自身もきっとどちらかといえば、正規分布の中央値よりも、聴覚優位に近い側です。

でも、視覚でも日本の義務教育レベルまでなら、ある程度はカバーできたという幸運だっただけ。

子供の頃の僕にとっても、きっとハイブリッドで学習できることが自分にとって本当に嬉しいことだったはずなんですよね。

大学生になるまで、それに気づきもしないほどに、文字で学ぶのが当たり前だったと思っていただけです。

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実際、あと10年遅く生まれていたら、また全然違う人生だっただろうなあと思うことは最近よくあります。

今みたいに、こんなにもオーディオブックが揃っている環境、そしてこれからはさらに自分が好きな本さえもAIが全部読んでくれるようになるはずで、そのときに10代の生活を送りたかったなあと強く思う。

でも、過ぎたことを後悔しても仕方ないですし、それよりもむしろ、これからの若い子たちの道を切り拓くためにも、オーディオブックやPodcastのような音声コンテンツにはぜひとも頑張って欲しいなあと願わずにはいられません。

結果として、僕みたいに自覚症状がなかった人間にとっても間違いなく生きやすい世の中になるはずだからです。

もちろん、完全に視覚優位の人々にとっても、共に対話できるひとたちが一気に増えるわけだから、万人にとって、間違いなく暮らしやすい世の中がやってくる。

まさに、情けは人の為ならず、です。

だからこそ僕は、これからも音声コンテンツの普及発展に微力ながら尽力していきたいなあと思いますし、ここを応援しない手はないなと思います。

少なくとも、邪魔だけは絶対にしたくない。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。