こんばんは、はっちーです。昨日は久しぶりのオンラインイベントで、ご参加いただいた方ありがとうございました!
https://wasei.salon/events/4846496e077e
その余韻に浸っていたせいか、今日は早起きもできず、仕事があまり手につきませんでした…。お話したかったAyaさんと美月さんとでしたので、その場や空気感自体が心地よかったことは言うまでもありません。
けれど「昔は大変だったけれど…」という枕言葉があるからこそ今の心地よさを噛みしめられているのかな?とも思い、こうして書き綴っております。
同時に「これはある程度の自立と余裕が必要なのでは?」と宿題のように向き合ってみたくなったのです。
もしよろしければ、編集後記的に楽しんでいただけましたら幸いです。
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おそらく共通するのは「じぶんの心地よさを知っていること」で、それは紛れもなく「心地よくない瞬間」も同時に知っているからなのだと思うんです。
「若い頃の苦労は買ってでもせよ」とはよく言いますが、確かに苦労している人のほうが感謝やありがたみを感じるよなぁとも思います。
じぶんも同じく20代中盤までは働いて楽しいと思う瞬間なんてなくて、むしろ楽しいと思ってはいけないと思っていました。
じぶんが憧れる方々はいつもストイックで、プラスの感情を押し込めているからこそ、あの地位にいられると思ったりもしていました。
だからこそ笑わない時期だって過ごし、なんなら、それがいいとさえ思っていた頃もありました。いま思うと恐ろしい話ではあるのですが…。
そんな視点が変わったのは20第後半。周りの声に耳を傾けてみると、身近で憧れる友人たちは誰もがじぶんに素直だったことに気づかされました。
そそのかされてみると、楽しさ/心地よさ/充実感がなだれこんできて。まるで暑い中、山登りをして下山した後の、キンキンに冷えた生ビールのように。
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あの頃のマイナスがあったから、今のプラスを噛みしめられているんだと思います。もしかしたら、ちゃんと心地よさを体験するための、布石だったのかもしれません。
やっぱり物事としっかりと向き合うには、幅が必要で。
楽しくない瞬間がわかるからこそ、楽しさを感じられるように。嫌いという感情に向き合うことで、好きという感情がクリアになってくるように。
アイデアや企画だって。
一つの視点で考えた瞬間に、その真逆の視点も同時に考えてみる。両極端。でないと、お互いの良さをちゃんと語れないのだと思います。
こうやって心地よさを実感できているのは、あの頃の違和感があったからだと思うと、急に昔のじぶんにありがとうと言いたくなりました。
明日から連休かと思いますが、どうかみなさまもご自身をご自愛くださいませ。