近ごろ、「書く」と「話す」の違いについてよく考えます。
僕にとって書くとは、平日毎日更新しているこのブログがそれにあたります。
一方、話すとは『お金と人のないしょ話』のような音声コンテンツやサロン内で行っているオンラインイベント、
最近始めたコミュニティラジオなんかもそれにあたります。
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結論から言うと、どちらもすごく楽しいです。
これであれば、いくらでも続けられるなあと。
むしろ、毎日考えていることを定期的にアウトプットしていく機会をつくらないと気持ち悪くなってくる…。
それは、歯磨きやお風呂のように、この習慣を行わないと1日が終われないというような居心地の悪さを感じてしまうことにとてもよく似ています。
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そしてここ一年、以前にも増して様々なひとたちとオンラインで話す機会がグッと増えました。
その上で思うことは、話すことはドンドン机の上を散らかしていく感覚に似ているなあと。
自分だけでは決して発見することができなかった気づきや問いを、対話しているみなさんと一緒に大きな机の上にバーっと広げていく感じ。
そして、あーでもない、こーでもないと言い合ってお互いの考えを認識していく。
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一方で、話すだけでは「収束させていく感覚」が得られません。
バーっと机の上に広げて「はい、今日はこれでおしまい。解散!」という印象。
翌朝、ブログを書く作業があることで、その散らかっている机を一つずつ片付けていって、自分なりに整理していく感覚を得られる。
そして、このように整理していくときに初めて発見できることがある。
これは、書く作業を通じて収束させていかないと決して見つけられないものだなあと思います。
「掃除は仕事に似ている」という話にも非常によく似てる気がします。
参照:掃除は仕事に似ている。 http://inkyodanshi21.com/subculture/studio-ghibli/5268/
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このように、発散と収束が交互に訪れる、この繰り返しが自分にとってものすごく心地よいのだと気付きました。
話すだけでもダメ、書くだけでもダメ。
サウナと水風呂のような関係性にもよく似ています。
その上で、発散も収束もどちらも最大化していくためには、音声コンテンツと文章コンテンツ、そのどちらも積極的につくり出すことが大事なんだろうなあと。
そして、仲間と一緒に机の上にバーっと広げる作業には、オンラインサロンのようなクローズドの空間がものすごく適している。
何かを広げていくときは「炎上するかもしれない」「誤解されるかもしれない」という恐れや遠慮が一番の邪魔になるからです。
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最後にまとめると、
他者と対話をしながら、これまでの自分の中には存在しなかった新たな視点を得られて、その驚きや興奮とともに翌朝、ひとりで静かに書く作業を行う。
この繰り返しが、実に心地よいというお話でした。
あまり共感してもらえるお話ではないかもしれませんが、自分がここ一年で体感してきたことの中で確信を得られる心地よさだったので、今日のブログにも書いてみました。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。
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