NFTが本格的な冬相場に突入しました。
国内のトップ集団のNFTが軒並み1ETHを切っていて、全盛期の3分の1〜4分の1以下になっているような状態が続いています。
このような冬相場においては、投資の格言にある「落ちてくるナイフはつかむな」は、しっかり実践したほうがいいと個人的には思っています。
ちなみに「落ちてくるナイフはつかむな」とは、急落時の投資は落ちてくるナイフをつかむようなもので、どんなに魅力的な銘柄でもナイフが床に落ちてから、つまり底を打ったのを確認してから投資すべきという相場格言になります。
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さらに、NFTの特殊性というのはもともと何の価値もないタダの画像なのだから、落ちるときはトコトン落ちていくと思います。
ここから更に、半額や3分の1になっても何の違和感もない。
株式と違って、下支えする企業価値のようなものがあるわけではないですからね。
だからこそ、もしいま同じ1 ETHの予算があるのなら、それは反発して戻ってきたときに使ったほうがいいかと思います。
ただ、反発するときも急に反発するでしょうから、そうなると1ETHで掴み損ねるじゃないか!という反論もあるはず。
でも、また国内のトップ集団が5ETH近辺まで戻り、将来的には10ETHを超えるような局面があるだろうと中長期の目線でNFTの可能性を信じているのであれば、1ETHで掴むのか、1.5ETHで掴むのかは、小さな誤差の範囲です。
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それよりも僕は、落ちるナイフを掴み、含み損を抱えるひとたちが、NFTホルダーの中に増えていくことのほうが問題だと思っています。
なぜなら、そうなるとムダに上値が重たくなるから。
次に反発しようとするタイミングを迎えたとしても、長い期間ずーっと苦々しい思いやを辛い思いをしたひとたちが多ければ多いほど、彼らが入ったときの価格に戻ってきたときに、プラマイゼロで終えようとするひとが増えてしまう可能性が非常に高いからです。
それは、運営側にとってもホルダー側にとっても、中長期的に見たときには、あまり好ましい状況ではないよなあと。
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あと僕は、今このタイミングで一度NFTから完全に撤退しようとするひとたちのことを愚かだなとは、あまり思っていません。
むしろ、ひとつの戦略として何も間違ってはいないだろうなあと個人的には思っています。
ここ半年ぐらいしっかり追ってきたひとほど、大体一周したとという感覚値を持っているひとは多いと思います。
初期のNFTの革新性みたいなものは、ざっくりと把握できたと感じているひとは多いはず。
次に本格的に社会実装されるタイミングには、またゆっくりと戻ってくればいいと感じているということなのでしょうね。
そのときのシグナルみたいなものは、この半年〜1年間ぐらいを見てきたひとほど、きっと見逃さないはずです。
そのときには、CNPを中心とした今の国内NFTの村(コミュニティ)には、金輪際一生住めなくなっても問題ないと感じているのでしょう。
本格的にNFTの仕組みが花開いたときにおいては、それは小さな小さな村でしかなかったとなると予測しているのだと思います。
このようなことを考えて、どこまで落ちていくかわからない今このタイミングで一度すべてキレイに精算して、タイミングを見計らってまた戻ってこようと判断するひとがいても、僕は全然おかしくないと思うし、その戦略に対しては一定の理解もできる。
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むしろ、僕が気がかりなのは、今この急落相場において「お買い得だ」という誤った認識で入ってくるひとが増えてしまうことにあります。
これが、どこまでも落ちるのかは本当に誰にもわからない。
その結果として、上述したように含み損を抱えるひとたちが相対的に増えていき、どうしても上値がドンドン重たくなる原因となってしまう。
だったら下がるときには一気に下げて、抜けるところまでトコトン抜けてもらって、どんな局面でも必ず持ち続けるという人々だけに振るいがかけられたほうがいいのではないのかなあと思っています。
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あと、個人的には、今みたいなタイミングほど、ドンドンSBTを発行してみてもいいのではないのかなとも感じています。
ここを乗り切ったひとたちの共通の証みたいなものは、将来的に間違いなく価値があるだろうなあと思うので。
ブル相場にいるひとたちは、イケイケのタイミング、つまり「儲かりそう」という共通の認識で集まっている人たち。
でも、ベア相場のときにいるひとたちは何かしらの「強い信念」を持って残っている人たちばかりです。
今いるひとたちが誰なのか、それを未来永劫記録し把握しておくことは、運営側としても、コミュニティメンバー同士の結束力という意味でも、結構大事なスナップショットになるように思うのです。
会社の窮地のタイミングで残っている社員のほうが、本質的に価値が高いのと非常によく似ている。
もちろん、このタイミングで発行されるそんなSBTが欲しいからという理由で、買い支えしてくれるひとたちも相対的に増えていくだろうなあと。
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あと、今回の状況を受けて、ずっとある個人的な問いとして「NFTにおける完全な匿名性の担保は、本来どこまで必要なのだろうか」という問いは、まだまだ答えが出ない問いというか、半信半疑な部分が大きいです。
言い換えると「NFTの技術って本当に完全匿名で用いるべきものなのか」と最近強く疑問に思うんですよね。
Web3という最初の盛り上がり、その号令をかけたひとたちの思想がそのような思想であって、それが発端だったというだけで、どちらかと言えば、それは技術革新とは関係のない、政治的なイデオロギーに近い。宗教的教義みたいなもの。
「Web2に復讐したい」というWeb1時代からいるひとたちが、国家や中央なんて絶対にいらないというリバタリアンのタイプのひとたちが多く、そのために開発された技術が非中央集権的な「分散型」という仕組みであっただけ。
ただ、その技術革新は、必ずしもリバタリアニズムとセットで用いるべきなのかと言えば、決してそうではないと思うのです。
実際、今NFTを触っているどれだけのひとたちが「国家なんていらない、大企業なんてクソくらえ!」と思っているのでしょうか。
そんな過激派のひとたちは一握りだと思います。
それよりかは、中央は中央としてこれからも存在し続けてもらって、その中間共同体のようなかたちに魅力を感じているひとが多い気がしています。
だから、リバタリアニズムの思想を持ち合わせている人たちが最初に提唱したと言うだけで、そこは完全に切り離してかんがえたほうがいいと思う部分です。
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むしろ、今回の冬相場の到来で明確にわかったように「完全匿名:というのは良くも悪くもコミュニティから簡単に抜けやすくしてしまう側面もあることは事実だと思います。
その、なんでもかんでも匿名でバレなさそうという発想自体が、どうしても人間の幼稚で誤った「自由」の発想の部分を浮き彫りにしてしまう。
それは2ちゃんねる時代から、何ひとつとして変わっていない。
リアルな社会では品行方正なひとほど、意外と2ちゃんねるでは罵詈雑言はいているというような感じです。
だったら、そのリアル社会の品行方正な部分をNFTコミュニティにおいても、無理なく引き出してあげることのほうが意外と大事なんじゃないか。
そもそも、人間という個人の性格や思想信条というのは確固たるものが存在するわけではなく、環境に引き出されているだけですからね。
全員が本名で活動を行う必要はないけれど、なにかしらの個人の特定につながるような仕組みはあってもいいのかなあと思っている派です。
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今日のお話は、いわゆる一般的なNFTに対する見解とは、全く異なる見解ではあるかと思いますが、最近の冬相場を見ながらそんなことを考える今日このごろです。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても、今日のお話が自らの意見を持ち合わせるうえで、何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。
2023/04/10 12:27