"結局、思い出って、フィルムのネガみたいなもので、断片的だし、多分、コマの外にある黒いつなぎめがいちばん重要。"

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ずっと、「忘れたくない瞬間を残すため」に写真を撮っていると思っていた。

だけど、写真のコマとコマの間、カメラを置き去りにして楽しんだ会話、写らなかった複雑な感情、揺れる音、それらを思い出すためのきっかけに過ぎない。

瞬間的な写真の前後には、そこに居た、当事者それぞれの物語がある。

動画の方が、全て残るのに、なんで写真なんだろうと何回も考えてきた。それはきっと、正確ではないことの魅力、曖昧さを担保することのできる媒体であることに惹かれているのだと思う。

「思い返せば、あれって、こうだったよな」。振り返った時には、実は、全然違う感情を抱いていることもある。それを許されるのが、写真なんじゃないだろうか。克明に記憶を記述してしまったら、そこからは変更不可能。

未来が過去を変えるという言葉のように、今の自分が過去の意味を変えていく。過去は常に変わる。だから、今、しっかりと、全力で、恥ずかしいけれど、1枚1枚を残していくことが大事なんだと思う。そうすれば、きっと、未来の自分が勝手に意味を与えてくれる。その1枚を起点に、様々なことを変えていってくれる。そんな希望になる写真を撮っている。

消えていってしまう記憶の断片を残すために、手を伸ばしてもすり抜けてしまうものを捕まえるように。いつも、1コマ1コマのつなぎめを撮っている。