木津です。巷ではムハンマドと呼ばれています。
さっき、こんなツイートをしました。
https://twitter.com/ayumukizu/status/1232485777755398144
今日はこの話を少し。
▼ギバーが勝つ時代。
最近はいたる所で、「ギバーであること」の重要性が説かれています。
クラウドファンディングの本格的な拡がりに伴う「お金」の捉え方にしても、コミュニティの楽しみ方にしても、「ギバーであること」は一つキーとなる考え方だろうと思う。
そんな背景もあって、冒頭のツイートにある記事でもそうだけど、最近巷では「ギバーであれ」という論調が強まっているように感じています。
ただ、「お金を稼ぐために」「人に助けてもらうために」「コミュニティを楽しむために」ギバーであろうとするのは、僕は少し違うなあと思っていて。
▼ギバーにはギブの自覚がない。
これは一つの事実として、多くのギバーには「ギブしている」という自覚がありません。
「自分がこれをしてあげれば、他者はこうしてくれるだろう」という期待は一切なく、単に自分の内なる欲求にしたがってギブをしている。
見返りを目的にギブをしていても、その姿勢が他者に伝わり、ギブが返ってくることは基本的にありません。
本当のギバーは、ギブすることで長期的に見ると自分に返ってくることを認識した上で、自らの行い(≒ギブ)による見返りは期待していないのです。
▼ギバーであり続けるために美意識を鍛える。
「じゃあギバーであるためにはどうすればいいのか」という声が聞こえてきそうですが、僕からの提案は、「好きに生きること」です。
自分がやりたいことを、やりたいようにやればいい。
この「自分がやりたいこと」が結果として他者に対するギブとなっていることが重要で、そのために、好きに生きながらも「美意識を鍛えること」が大切だと僕は思います。
美意識を鍛え、自分の素直な欲求からくる「自分のやりたいこと」が、他者に対するギブになっているのが一番良い。
▼終わりに
以上です。
ちなみに冒頭のツイートにある記事で出てくる西野さんは、紛うことなきギバーなんだと思います。
それは彼の集めている信用がそれを裏付けているんだけど、どうしてもその"手法"だけを真似しようとしてしまうと、「お金持ちになるためにギブする」と捉えられてしまいそうだなと思い、今日の記事を書いてみました。
またきてね!